万歳橋の右手には楫取素彦(小田村伊之助)が寄進した井戸が残されています。1879年(明治12年)に寄進されたものだそうです。
楫取素彦寄進の井戸(かとりもとひこきしんのいど)
楫取素彦は文政12年(1829)、萩藩医松島瑞璠(ずいばん)の次男として萩に生まれ、12歳の時に萩藩の儒者小田村吉平(きっぺい)の養子となり、小田村伊之助と名乗った。藩校明倫館で儒学を講じ、嘉永6年(1853)吉田松陰の妹寿(ひさ)と結婚した。松蔭の再入獄後は後継者として、松下村塾でも指導にあたった。慶応元年(1865)の四境(しきょう)戦争(幕長戦争)では幕府側との交渉にあたり、慶応3年藩命により楫取素彦と改名しました。明治9年(1876)初代群馬県令となり、同17年(1884)まで蚕糸業の振興や教育の充実に尽力した。明治14年(1881)寿と死別後、同16年に松陰の妹で久坂玄瑞の未亡人文(ふみ)(美和子)と再婚した。大正元年(1912)没、享年84。
志都岐山神社は明治12年(1879)に建立され、毛利元就・隆元・輝元・敬親・元徳を主神とし、初代から12代までの萩藩主を配祀している。この井戸は、明治12年11月の志都岐山神社創建時に、当時群馬県令であった楫取素彦が寄進したものである。萩市