厚狭毛利家(あさもうりけ)は、江戸時代の毛利氏の一門家老のひとつで、かつては「四本松毛利家」とも呼ばれていました。
その厚狭毛利家の武家屋敷が「旧厚狭毛利家萩屋敷長屋」です。
厚狭毛利家は毛利元就の五男・毛利元秋を祖とし、のち元就の八男・元康が跡を継ぎ、「関ケ原の戦い」後に毛利氏が萩へ移封となった際には、長門厚狭(現在の山口県山陽小野田市)に10,500石を与えられたのがはじまりです。
当時、萩屋敷は約15500m2の広大な敷地を誇っていましたが、主屋などは明治維新後に解体され、1856年(安政3年)に建てられたこの長屋のみが残っています。
梁間5メートル、桁行51.5メートルの長大な入母屋造り本瓦葺きの建物は、萩に現存する武家屋敷のなかでも最大の規模を誇り、国の重要文化財に指定されています。
5つに区画された内部には土間がなく、特に東の座敷は狭いながらも畳廊下を配した格調高い造りであることから、身分の高い者に対して用意された詰所であったと思われます。
いちばん奥の部屋には萩城の模型が展示されていました。
詰の城である指月山山頂の詰丸も再現されています。
なお、萩屋敷が面した通りに4本の松があったことが四本松毛利家の由来となっています。
旧厚狭毛利家萩屋敷長屋(きゅうあさもうりけはぎやしきながや)
厚狭毛利家は、毛利氏の一門で、厚狭(現 山陽町)に知行地(ちぎょうち)を持っていたため、このように呼ばれた。
この長屋は、棟札によると、安政3年(1856)に建てられたものである。桁行(けたゆき)51.5m、梁間(はりま)5mの長大な構造で、現在萩に残っている武家屋敷のなかでは最も大きいものである。 萩市観光課
国指定重要文化財(建造物)
指定年月日 昭和41年6月11日
所有者 萩市
所在地 萩市大字堀内旧厚狭毛利家萩屋敷長屋(きゅうあさもうりけはぎやしきながや)附(つけたり)棟札(むねふだ)1枚
厚狭毛利家は、毛利元就の5男元秋(もとあき)を始祖とする毛利氏一門で、厚狭郡厚狭(現山陽小野田市)に知行地(ちぎょうち)(8,370石余)をもっていたのでこのように呼ばれた。萩の屋敷は萩城大手門の南100mの要地に位置し、面積約15,500m2の広大なものであった。
棟札(むねふだ)によるとこの長屋は10代元美の時、安政3年(1856)に建てられたもので、桁行51.4m、梁間5.0mの長大な構造で、現在萩に残っている武家屋敷の中で最も大きい。
屋根は入母屋造(いりもやづくり)、本瓦葺(ほんかわらぶき)、南面は廂構桟瓦葺(ひさしがまえさんかわらぶき)で、妻飾りは木連格子、南に向かって玄関および濡れ縁を設け、障子を立てて開放的に作られている。手法の特に目立つものはないが、建築年代がはっきりした貴重な建物である。Asa Mori Clan Residence (Kyu As Morike Hagiyashiki nagaya)
The origin of the Asa Mori family was Motoaki, the fifth son of Motonari Mori. The clan once owned huge tracks of land, but lost most of it after the Meiji Restoration. This residence, built in 1856, is the biggest residence which exists now in Hagi. It is designated as a national cultural property. The tools used in those day are displayed. Renovated in 1968. 萩市
旧厚狭毛利家萩屋敷長屋の観光情報
住所 | 萩市堀内85-2 |
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開館時間 | 【4~10月】8:00~18:30、【11~2月】8:30~16:30、【3月】8:30~18:00 |
休館日 | 年中無休 |
観覧料(常設展示) | 100円(小学生未満は無料) |
URL | http://hagishi.com/search/detail.php?d=100028 |