安土山の中腹、大手道と百々橋口道が交差する地点に、織田信忠の屋敷があったと伝わる場所があります。
(現在は通行できませんが、安土山の北西からのぼってくる七曲道もここにつながっていました)


百々橋口から摠見寺のあたりまでは誰でも自由に往来できたと考えられているため、この信忠の屋敷があったあたりは安土城の防衛ラインとして重要な位置を占めていました。
この下には武井夕庵の屋敷跡があります。
安土山の中腹、大手道と百々橋口道が交差する地点に、織田信忠の屋敷があったと伝わる場所があります。
(現在は通行できませんが、安土山の北西からのぼってくる七曲道もここにつながっていました)
百々橋口から摠見寺のあたりまでは誰でも自由に往来できたと考えられているため、この信忠の屋敷があったあたりは安土城の防衛ラインとして重要な位置を占めていました。
この下には武井夕庵の屋敷跡があります。
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江戸城天守を再建する会の特別顧問をされている三浦正幸先生が書かれた著書で三浦先生のお話は講演会等でよくお聞きしているので、お城の構造について勉強したく手に取りました。前半は天守の外壁、窓、狭間、石落、そして基本的構造について詳細に解説されており、外壁の仕上げ、屋根、破風の形に格式の上下があることを知り、今後天守の見方が変わるように思えました。後半は現存12天守、失われた天守の詳細説明がされています。熊本城の宇土櫓が第一期普請で建てられた初代天守であることを初めて知りました。この一冊で天守の構造に付いてほぼ網羅していると思いますので、天守の構造について詳しく知りたい人にはお勧めです。なお、続編として「櫓・城門編」もあるようですのでそちらも読んでみようかと思います。
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