安土城
安土城

[滋賀県][近江] 滋賀県近江八幡市安土町下豊浦


  • 平均評価:★★★★☆ 3.93(17位)
  • 見学時間:1時間34分(14位)
  • 攻城人数:3879(17位)

摠見寺三重塔

安土山の中腹にある摠見寺三重塔は三間三重塔で、屋根は本瓦葺きです。
この三重塔は室町時代の建物で、棟柱に「享徳三年建立、天文二十四年修理」の墨書きがあります(享徳三年は1454年、天文二十四年は1555年)。

1575年(天正3年)から1576年(天正4年)頃に、甲賀の長寿寺(現在の甲賀市石部町)から移築したものとされています。

1604年(慶長9年)に豊臣秀吉の次男、秀頼が一部修理をしています。
また、1914年(大正3年)に突如3層目の屋根と、1・2層目の軒が崩落しましたが、すぐに修復されました。

1901年(明治34年)3月27日に特別保護建造物に指定されています(現在の重要文化財)。

   

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今日のレビュー

図説 近世城郭の作事 櫓・城門編

三浦先生が書かれた「近世城郭の作事 天守編」に続き、今回は「櫓・城門・土塀」編を読みました。特に、城門、土塀については書いてあることのほとんどが初めて知る事でした。城門の種類ですが、薬医門は安土桃山時代だけで、高麗門は文禄・慶長の役で朝鮮半島での築城時に発明され、構造は薬医門と変わりませんが屋根が小さいので防戦上で有利、屋根が小さいので用材が少なくて済むなど、関ヶ原の戦い後、薬医門から進化した高麗門に取って代わられたそうで、現在城跡に残っているのは圧倒的に高麗門で、医薬門は少ないとの事です。また、関ヶ原以前の櫓門では石落がないので、櫓門の石落は関ヶ原以降の発明と考えられるとの事を初めて知ります。土塀についても、付壁塀、築壁塀など色々な種類があるそうで、天守、櫓以外に城門、土塀にも注目することにより、新たなお城巡りの楽しみを再発見させてもらえた一冊だと思います。

まーちゃんさん)

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