百々橋口をのぼって最初に見えるのが摠見寺仁王門(正式には二王門)です。
この楼門は棟木に「元亀二年七月甲賀武士山中俊好建立」とあります(元亀二年は1571年)。
屋根は入母屋造り、本瓦葺きで、門内に安置されている金剛力士像も門と並んで重要文化財に指定されています。
金剛力士像の頭部内側には「応仁元年因幡院朝作」の造像銘が残されています(応仁元年は1467年)。
門の手前に案内板がありました。
摠見寺二王門
正面の柱間三間の中央間を出入口とする楼門を三間一戸(さんげんいっこ)楼閣といって実例が多く、ここでは正面の脇間に金剛柵を設け、金剛力士の像をまつるため二王門と名づけている。
この門は棟木に元亀二年(一五七一)の建立を示す墨書銘があるが、織田信長が天正四年(一五七六)築城に着手し、あわせて摠見寺を建てるに際し甲賀郡から移建したと伝えられる。組物は上下層とも三手先(みてさき)で、和様を主調とした最も一般的な形式であるが、下層中央間の彫刻入りの蟇股(かえるまた)や隅柱の上部についている頭貫(かしらぬき)の木鼻(きばな)などは室町時代末期の特徴をよく現している。
木造金剛二力士立像は応仁元年(一四六七)の作で重要文化財に指定されている。
昭和五十二年十月安土町教育委員会
三重塔側から見た仁王門です。