柏原陣屋
柏原陣屋

[兵庫県][丹波] 兵庫県丹波市柏原町柏原683


  • 平均評価:★★★☆☆ 3.19(--位)
  • 見学時間:33分(--位)
  • 攻城人数:304(362位)

柏原藩陣屋跡

「柏原藩陣屋跡」は国の史跡に指定されています。
陣屋というのは無城大名(大名の家格のひとつで、城を持つことを幕府に許されなかった)の屋敷のことを指します。

この柏原藩陣屋は、織田信長の次男・信雄の孫にあたる信休(のぶやす)によって築かれた陣屋です。
なので織田木瓜があちこちにあります。

この表御殿ができたのは1714年(正徳4年)のことですが、1818年(文政元年)御殿が焼失したため、1820年(文政3年)に再建されています。その後、明治維新後に解体されてしまったため、現在の御殿は唐破風の玄関と寄棟造の大書院など、再建時のおよそ5分の1程度が現存しているにすぎないそうです。
ただ、それでも全国でも数少ない陣屋遺構として貴重な存在です。

内部の写真を何枚か撮影したので紹介しますね。

外には焼失してしまった建物の配置がわかるようになっています。

屋根瓦も織田木瓜です。

残っているのは一部とはいえ、かなり立派な陣屋なので訪問する価値はあると思います。

国指定史跡 柏原藩陣屋跡

指定年月日 昭和46年1月6日
所有者・管理者 柏原町

 柏原藩陣屋跡は、正徳4年(1714)に初代藩主織田信休によって造営された柏原藩主織田氏の居館跡である。
 造営当初の建物は文政元年(1818)の火災で焼失し、文政3年(1820)頃に再建されたものが現存する御殿である。
 現在は表御殿の部分と長屋門が残るだけであるが、門から御殿玄関へと続く構えは全国的に類例が少なく、近世大名の居館を考えるうえでも貴重な遺構として国の史跡に指定されている。
平成6年3月 柏原町

Remains of a Jinya.
Residence of Kaibara feudal clan lord built in 1714.
The cxtant building was rebuilt after a fire in 1818.
It was designated by National Government as an Important Cultual Property.1994 MARCH KAIBARA-CHO
表御殿(おもてごてん)・表御門(おもてごもん)(長屋門(ながやもん))
表御殿
 右前方に見える建物(たてもの)は表御殿にあたり、玄関(げんかん)から北側を改築部を除き、文政(ぶんせい)3年(1820)年の再建時の姿(すがた)が残っています。
 表御殿は、藩主(はんしゅ)が藩士(はんし)や来客(らいきゃく)と対面(たいめん)するなど公的(こうてき)な儀式(ぎしき)の場として使用されていた所で、檜皮葺(ひわだぶき)の唐破風(からはふ)と千鳥破風(ちどりはふ)を持つ玄関が特徴となっています。
表御門(長屋門)
 陣屋の正面にある表御門は、長屋門と呼ばれる形式のもので、正徳(しょうとく)4年(1714)に築造(ちくぞう)され、陣屋内に残る唯一の創建当初の建造物です。
柏原藩陣屋跡整備事業(かいばらはん じんやあと せいびじぎょう)
 平成15年~23年にかけての、柏原藩陣屋跡整備事業において、表御殿の桟瓦葺替(さんかわらふきか)え工事、玄関屋根(げんかんやね)の檜皮(ひわだ)葺替え工事、カイズカイブキ移植(いしょく)工事、環境(かんきょう)整備工事等が実施され、「旧柏原藩織田邸平面図(きゅうかいばらはん おだてい へいめんず)」を参考に、史跡地範囲内(しせきちはんいない)における建物範囲や間取りを、表面表示(ひょうめんひょうじ)の工法で整備しました。また表御門(長屋門)に連続する堀を、広小路土塀(ひろこうじどべい)を参考に整備しました。
国指定史跡(くにしていしせき) 柏原藩陣屋跡(かいばらはんじんやあと)
 陣屋は、元禄(げんろく)8年(1695)に、大和(やまと)国松山藩(まつやまはん)(奈良県宇陀(うだ)市)から2万石で柏原に国替えとなった織田信長(おだのぶなが)の次男・信勝(のぶかつ)の子孫(しそん)にあたる信休(のぶやす)が、正徳(しょうとく)3年(1713)に造営(ぞうえい)に着手し、翌4年に完成(かんせい)した柏原藩の藩庁(はんちょう)・屋敷(やしき)で、明治(めいじ)4年(1871)まで存続(そんぞく)しました。
 当時の規模(きぼ)は、東西130m、南北158mで、現在の崇広(そうこう)小学校、兵庫県柏原総合庁舎(そうごうちょうしゃ)の範囲(はんい)にまで及び、御殿(ごてん)のほか庭園(ていえん)や土蔵(どぞう)、馬場(ばば)、稲荷神社(いなりじんじゃ)、幕末(ばくまつ)には藩校(はんこう)も設(もう)けられていました。
 しかし、文政元年(ぶんせいがんねん)(1818)に火災がおき、長屋門(ながやもん)など一部の建物を残し焼失(しょうしつ)しました。
 現存する表御殿は、文政3年(1820)の再建(さいけん)時のもので、焼失をまぬがれた表御門(おもてごもん)にあたる長屋門とともに往事(おうじ)の姿を今に伝えています。
 このように大名(だいみょう)の陣屋で、建物が江戸時代と変わらず当時の場所に現存(げんぞん)するのは、全国にもわずかしかなく、近世陣屋史上貴重(きんせいじんやしじょうきちょう)な遺構として、昭和(しょうわ)46年(1971)に国の史跡に指定(してい)されました。
   

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今日のレビュー

戦始末 (講談社文庫)

短編集なので読みやすいと思います。基本的に負け戦の殿軍の物語です。まぁ、一番好きな話は籠城戦でしたが。
タイトルの戦始末。最後の作品まで読むと納得出来るのではないでしょうか?

まーPさん)

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