駿府城
駿府城

[静岡県][駿河] 静岡県静岡市葵区駿府公園1-1


  • 平均評価:★★★☆☆ 3.48(109位)
  • 見学時間:1時間26分(47位)
  • 攻城人数:1415(21位)

徳川家康公銅像

駿府城公園内の本丸跡には徳川家康の銅像が建てられています。

銅像の手前に駿府城についての案内板があります。

駿府城
 今から約六五○年前の室町時代、今川範国(いまがわのりくに)が駿河守護職に任じられて以降、駿河国は今川氏によって治められました。九代義元(よしもと)の今川氏全盛の頃、徳川家康は七歳から十八歳までの間、人質として駿府に暮らしました。永録三年(一五六○)今川義元が桶狭間で織田信長に討たれた後、今川氏は急速に衰退し、永録十一年(一五六八)武田氏により駿府を追われました。
 徳川家康は、駿府の武田氏を天正十年(一五八二)に追放した後、同十三年(一五八五)には駿府城の築城を開始し浜松城から移りました。しかし徳川家康は、天正十八年(一五九○)豊臣秀吉により関東に移封され、豊臣系の中村一氏(なかむらかずうじ)が駿府城の城主になりました。その後、徳川家康は、関ヶ原の戦いに勝利し、慶長八年(一六○五)に征夷大将軍に任じられ江戸幕府を開きます。慶長十年(一六〇五)に将軍職を息子秀忠に譲り、同十二年(一六○七)には大御所として三たび駿府に入りました。この時に天正期の城が拡張修築され、駿府城は壮大な新城として生まれ変わりました。城には三重の堀が廻り、堀に囲まれた曲輪(くるわ)を内側から「本丸」、「二ノ丸」、「三ノ丸」とする典型的な輪郭式(りんかくしき)の縄張りとしています。
 大御所の城にふさわしく、築城に際して「天下普請(てんかぶしん)」として全国の大名が助役を命じられ、各地から優秀な技術者や多量の資材が集められました。
 また、安倍川の堤の改修や、城下町の整備なども行われ、現在の静岡市街地の原形が造られました。静岡市教育委員会
   
この記事のURLとタイトルをコピーする
これからあなたが訪問するお城をライフワークとして記録していきませんか?(過去に訪問したお城も記録できます)新規登録(登録は無料です)

駿府城の城メモ一覧

あなたのお城巡りをより便利に快適に、そして楽しくするためにぜひ登録してください。

新規登録(登録は無料です)

フォローしませんか

攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)

フィードバックのお願い

攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック

読者投稿欄

いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する

トップへ
戻る