駿府城
駿府城

[静岡県][駿河] 静岡県静岡市葵区駿府公園1-1


  • 平均評価:★★★★☆ 3.53(63位)
  • 見学時間:1時間21分(30位)
  • 攻城人数:3641(21位)

駿府城の案内板

東御門橋の手前に駿府城の案内板があります。

 駿府城は、外堀・中堀・内堀の三重の堀を持つ輪郭式の平城です。本丸を中心に回字形に本丸・二ノ丸・三ノ丸と順に配置され、中央の本丸の北西角には、五層七階(外観五層内部七階)の天守閣がありましたが、寛永十二(一六三五)年に焼失しています。
 駿府城が城郭としてそ姿を見せるのは、天正十三(一五八五)年に徳川家康公が築城を開始したことに始まります。この天正期の駿府城は現在の城跡に比べるとひと回り小さいと考えられますが、詳細は不明です。
 この後、江戸幕府を開いた家康公が、慶長十二(一六○七)年将軍を退き、駿府に移り住むために天正期の駿府城を「天下普請」として拡張・修築しました。
 当時の駿府は江戸と並ぶ政治の中心地として重要な役割を果していました。平成八年三月
静岡市
SUMPU CASTLE
Sumpu Castle was built on a plain in a contoured style surrounded by three moats : an inner, central and outer moat. The castle was composed of a main enclosure (the Honmaru), surrounded by a secondary enclosure (the Ninomaru) and a tertiary enclosure (the Sannnomaru). On the northwest corner of the main enclosure (the Honmaru) there was a building called a donjon (Tenshukaku) with five external roofs and seven internal levels, but they were burnt down in 1635.

Sumpu Castle first made an appearance in 1585 when Ieyasu Tokugawa started construction. The castle of the period is assumed to have been slightly smaller than the present site, but exact details of its size are not known.

Lord Ieyasu, one of the founders of the Edo government, retired as shogun in 1607. He then startd repairing and expanding the original castle into a "Shogun's Residence" in preparation for coming to live at Sumpu. When Lord Ieyasu resided in the castle, Sumpu, along with Edo, played an important role as a principal center of the Tokugawa government."
   

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図説 近世城郭の作事 櫓・城門編

三浦先生が書かれた「近世城郭の作事 天守編」に続き、今回は「櫓・城門・土塀」編を読みました。特に、城門、土塀については書いてあることのほとんどが初めて知る事でした。城門の種類ですが、薬医門は安土桃山時代だけで、高麗門は文禄・慶長の役で朝鮮半島での築城時に発明され、構造は薬医門と変わりませんが屋根が小さいので防戦上で有利、屋根が小さいので用材が少なくて済むなど、関ヶ原の戦い後、薬医門から進化した高麗門に取って代わられたそうで、現在城跡に残っているのは圧倒的に高麗門で、医薬門は少ないとの事です。また、関ヶ原以前の櫓門では石落がないので、櫓門の石落は関ヶ原以降の発明と考えられるとの事を初めて知ります。土塀についても、付壁塀、築壁塀など色々な種類があるそうで、天守、櫓以外に城門、土塀にも注目することにより、新たなお城巡りの楽しみを再発見させてもらえた一冊だと思います。

まーちゃんさん)

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