駿府城
駿府城

[静岡県][駿河] 静岡県静岡市葵区駿府公園1-1


  • 平均評価:★★★★☆ 3.53(63位)
  • 見学時間:1時間21分(30位)
  • 攻城人数:3641(21位)

駿府城跡天守台・発掘調査のパンフレット

「駿府城跡で体験発掘」のご案内
現在、駿府城では地中に埋没している天守台石垣の残存状況などを調べるために「天守台発掘調査」がおこなわれています。その作業を体験できる「駿府城跡で体験発掘」というイベントが月4回のペースで開催されていますので紹介記事を書きました!
【協賛:静岡市】駿府城跡天守台で体験発掘の参加者を募集中!【予約受付中】

「静岡市歴史文化課」によって作成された、駿府城跡天守台・発掘調査の公式パンフレットです。

提供:静岡市
?天守はなぜ江戸時代の初めになくなったのか
明治時代に廃城になるまで、火事や地震で被災する度に天守台や他の建物は再建されたのに対し、寛永12(1635)年以降天守が再建されることはありませんでした。これは徳川家による江戸幕府の体制が磐石なものとなり、戦や権威のシンボルであった天守が必要ない、天下泰平の世になったことを示すと考えられています。
?現在の駿府城
駿府城には三重の堀がありましたが、市街地化などによって埋め立てられ、幅が狭くなりました。現在では二ノ丸堀(中堀)より内側が駿府城公園となっており、宝暦年間(1571〜1763)の修復記録に基づいて、東御門や巽櫓などが復元・公開されています。
提供:静岡市
駿府城跡天守台発掘調査
駿府城跡天守台の整備方針の決定に向けて、天守台石垣の残存状況の確認や正確な学術的データを得るため、H28年8月からH32年2月まで実施予定です。H28年度からH30年度は天守台と本丸堀を、H31年度は今川期の遺構の調査を行っていきます。
これまでの調査の結果
過去の発掘調査では石垣の北辺の両角が確認されています。また、今川期の遺構も発見されました。以前から駿府城付近に今川館があったと伝えられ、今回の調査成果が、不明だった今川館の位置確定へつながるかもしれません。
   

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今日のレビュー

図説 近世城郭の作事 櫓・城門編

三浦先生が書かれた「近世城郭の作事 天守編」に続き、今回は「櫓・城門・土塀」編を読みました。特に、城門、土塀については書いてあることのほとんどが初めて知る事でした。城門の種類ですが、薬医門は安土桃山時代だけで、高麗門は文禄・慶長の役で朝鮮半島での築城時に発明され、構造は薬医門と変わりませんが屋根が小さいので防戦上で有利、屋根が小さいので用材が少なくて済むなど、関ヶ原の戦い後、薬医門から進化した高麗門に取って代わられたそうで、現在城跡に残っているのは圧倒的に高麗門で、医薬門は少ないとの事です。また、関ヶ原以前の櫓門では石落がないので、櫓門の石落は関ヶ原以降の発明と考えられるとの事を初めて知ります。土塀についても、付壁塀、築壁塀など色々な種類があるそうで、天守、櫓以外に城門、土塀にも注目することにより、新たなお城巡りの楽しみを再発見させてもらえた一冊だと思います。

まーちゃんさん)

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