岡山城の不明門(あかずのもん)は明治時代に廃城令によって取り壊されましたが、1966年(昭和41年)に天守とともに再建されました。
この門を境に、藩主が日常生活を営む御殿がある本段と仕切られており、セキュリティを高めるためにふだんは閉ざされていたため「あかずのもん」と呼ばれていました。
内側から見るとこんな感じです。
門から入るとすぐに階段があり、櫓門の型式も含め、防衛能力の高い門でした。
案内板の内容です。
不明門(あかずのもん)
表書院(藩庁)の南端から本段(城主居館)へ上る石段の入口に設けた渡櫓門、天守閣のある本段全体の入口を固めた大形の城門であるが、平素の出入は北端の渡り廊下を使用し、この門はほとんど閉ざされていたことから、「不明門」と呼ばれた。明治の廃城後取り壊されたが昭和41年、鉄筋コンクリートで再建された。Akazu-no-mon (Unopened Gate)
This gate was at the bottom of a flight of stone steps, which led to Hon-dan (the feudal lord's mansion) on the highest level from the southern end of Omote-shoin (the feudal goverment office) on the middle level. It was the large castle gate to guard the entrance of Hon-dan including Tenshu-kaku (Donjon). Instead of this gate, the roofed passage of the northern end was commonly used. Therefore, this gate was so called because it would not open for daily use.
Though the gate was demolished after the abolishment of castles in the Meiji era, it was reconstructed in reinforced in 1966.
下の段側(横)からはこんなふうに見えます。