岡山城本丸に小納戸櫓(こなんどやぐら)とよばれる2重2階の櫓がありました。
小納戸櫓跡に設置されている案内板の内容を紹介します。
小納戸櫓(こなんどやぐら)Konando Yagura
本丸の搦(から)め手(て)にある廊下門(ろうかもん)に迫る敵を迎え撃つために設けた櫓でした。白壁造り二階建て、平面は正方形で、一階の壁には格子窓(こうしまど)と石落(いしお)としが設けられていました。この櫓(やぐら)の西と南にはそれぞれ平屋の多聞櫓(たもんやぐら)が続いていました。
岡山城本丸に小納戸櫓(こなんどやぐら)とよばれる2重2階の櫓がありました。
小納戸櫓跡に設置されている案内板の内容を紹介します。
小納戸櫓(こなんどやぐら)Konando Yagura
本丸の搦(から)め手(て)にある廊下門(ろうかもん)に迫る敵を迎え撃つために設けた櫓でした。白壁造り二階建て、平面は正方形で、一階の壁には格子窓(こうしまど)と石落(いしお)としが設けられていました。この櫓(やぐら)の西と南にはそれぞれ平屋の多聞櫓(たもんやぐら)が続いていました。
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攻城団の勉強会で話題となった江戸時代に書かれた日記関係の書籍を読んでみたくなり、図書館のホームページで検索した所、何度か読んだことのある山本博文先生が書かれた「江戸お留守居役の日記◆寛永期の萩藩邸◆」が抽出されたので読んでみることにしました。内容は萩藩の江戸留守居役である福間彦右衛門によって寛永期に書かれた日記が元になっています。この本を読むまでは、江戸屋敷に常駐している藩士は自由に江戸の町で行動出来ると思っていましたが、実際はかなり制限されており、不自由な生活を余儀なくされていた事を知りました。そのような過酷な環境の中で藩士が起こした不始末や幕府から出された命令を、留守居役の彦右衛門が町奉行、旗本と相談しながら解決していく様が描かれています。なお、屋敷外での勤務、藩邸周辺の警備にあたる辻番所は近代の交番のルーツだそうです。当時の江戸屋敷の武士、町民の生活が垣間見られた一冊です。
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