現在の岡山城は外観復元天守です。
戦国時代に宇喜多直家が築いた岡山城は、直家の子・秀家によって8年間にわたる大改修が行われ、近世城郭としての体裁を整えました。
「関ケ原の戦い」以降、宇喜多家は改易となったため(秀家は八丈島に流刑)、代わって小早川秀秋が備前・美作52万石の領主として入城したのですが、秀秋には跡継ぎがいなかったために小早川家は断絶します。
その後は姫路城主池田輝政の次男・忠継に与えられました(じっさいには忠継が幼少だったので兄の利隆が「備前監国」として代わりに入っています)。その後は明治維新まで池田家が城主を務めます。
岡山城は廃城令でも天守が残された(戦前の国宝にも指定されていた)のですが、1945年(昭和20年)6月29日の岡山空襲で焼失してしまいます。
それを1964年〜1966年(昭和39年〜昭和41年)の2年がかりで再建したのが、現在の天守ということです。
この大天守は5重6階(ときには4重6階)と説明されていることも多いんですけど、(5重と見立てた場合の)1重目と4重目にあたる部分は庇(ひさし)ですので、正確には3重6階です。熊本城と同じですね。
内部は博物館になっています。鉄筋コンクリート製のよくある復元天守なのですが、わりと雰囲気をうまく再現していていいですよ。
備前岡山池田氏の家紋である「備前蝶」の家紋ですね。
もともと池田家には揚羽蝶の家紋があって、姫路城には揚羽蝶の紋瓦もたくさんあるわけですが、備前藩ではそれを変化させたものを使っていたそうです。
エレベーターには五七桐の紋があります。
これは宇喜多秀家の時代に使われていたものをイメージしているんでしょうね。
金の鯱です。もちろん純金ではなく、金箔を貼ったものですが、黒い天守の金の鯱はよく似合いますよね。
これは1996年(平成8年)に築城400年記念事業として、当時の城をイメージして交換されたものだそうです。
天守からの眺望はどこのお城でも最高なのですが、岡山城は後楽園が隣接しているのでとてもきれいです。