本段から旭川に臨む「水の手」に通じる、勝手筋の石段は「六十一雁木」と呼ばれていました。
名前の由来は、江戸時代初期に整備された際に、61段の石段があったことにちなんでいます。
石段の上下には門があり、とくに下には本格的な櫓門(下門)がありました。
上門・下門の両門とも明治になって取り壊されましたが、1966年(昭和41年)に上門だけが木造で再建されました。
(ただし、現在の姿は、絵図に示された当時の構造と細部が異なっています)
六十一雁木上門に設置されている説明板の内容を紹介します。
六十一雁木上門(ろくじゅういちがんきうえもん)
本段から川手に通じる門で、前方の石段がもとは61段あったことからこう呼ばれたらしい。Rokujyu-ichi Gangi Ue Mon (Gate on the top of sixty-one steps)
The gate is said to have been named after 61 stone steps in front, leading from Hondan on the highest level to the bank of the river.