表書院(表向御殿)は岡山城内最大の御殿で、最高の格式を有する藩主の公邸兼藩庁でした。
完成時期は、表向の曲輪自体が池田忠雄によって完成されたため、表向御殿も同時期の完成と思われます。
表書院跡に設置されている説明板の内容を紹介します。
表書院(おもてしょいん)Omotesyoin
岡山藩の政治が行われた建物で、数棟からなり、大小60を越える部屋がありました。登城してきた家臣らは南東の玄関から入り、広い廊下を通って奥へ進み、それぞれ所定の部屋に詰めていました。廊下に面した徒番所(かちばんしょ)は城内の警備や雑用にあたる家臣の詰所(つめしょ)でした。
藩主は、住居である本段の御殿(ごてん)から渡り廊下を通って北西の招雲閣(しょううんかく)に入り、南座敷(みなみざしき)で政務を執(と)っていました。泉水(せんすい)を備えた中庭には、数寄屋(すきや)(茶室)が建っていました。北東部には台所があり、藩主の食事や儀式用の料理を作っていました。
発掘調査で出土した建物の礎石や雨落ち溝などの遺構は地下に保存し、地表には建物の位置や間取り、泉水などを表示しています。