岡山城
岡山城

[岡山県][備前] 岡山県岡山市北区丸の内2-3-1


  • 平均評価:★★★★☆ 3.79(27位)
  • 見学時間:1時間24分(27位)
  • 攻城人数:3986(15位)

岡山城の沿革

岡山城の沿革について書かれた案内板がありましたので、内容を紹介します。

岡山城の沿革
 備前の国邑久から起った宇喜多直家が、岡山の地・石山の城にいた金光宗高を亡ぼして城郭を拡張し入城したのは天正元年(1573)の秋であった。それまでは金川の松田氏に属する小城に過ぎなかったが、直家はこの城を本拠として城下町の経営に着手し、岡山の繁栄の基礎をつくった。
 その子八郎秀家は、豊臣秀吉の殊遇を受け、直家の遺領である備前、美作のほかに備中の内の高梁川以東をも加え、57万石をこえる大領主となった。
 ここにおいて秀吉の意見に従い、石山の東に本丸を移して城郭の拡張整備を行ない、慶長2年(1597)、3層6階の天守閣が落成するにおよんで、城ぶしんは一段落した。これがこの地に豪壮きわまりない石垣と内堀を残す岡山城本丸であって、さらに西南の平地に二の丸、三の丸などが城域を画し、近世城下町の骨格ができあがったのである。
 宇喜多秀家は、慶長5年(1600)の関が原の戦いに西軍の総大将となって出陣、一敗地に塗れて八丈島へ流された。その後小早川秀秋が備前の国・名島から移って岡山城主となったが、在城わずか2年余りで急死し、後継者がいなかったのでこの家は断絶した。そのあと姫路城主池田輝政の子、池田忠継に備前一国を与えられ岡山城に入る。以降池田氏31万5千石の時代が続き明治維新におよんだ。
 岡山城の歴代城主と在城期間は次のとおりである。
Okayama Castle
Okayama castle was built some 400 years ago by Lord Hideie Ukita who governed Okayama, then the province of Bizen. Its donjon and watch towers were once designated National Treasures, as they fully showed the spirit of Azuchi-Momoyama period in their beauty and grandeur. The donjon, called "Crow Castle" because of its dark appearance, burnt down in World War II, and reconstructed perfectly in 1966.
   

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