岡崎城
岡崎城

[愛知県][三河] 愛知県岡崎市康生町561


  • 平均評価:★★★★☆ 3.58(60位)
  • 見学時間:1時間24分(31位)
  • 攻城人数:4450(11位)

東隅櫓

岡崎城の東隅櫓は2010年(平成22年)3月に再建されました。
この東隅櫓は、城の中核となる二の丸に繋がる切り通しを守る最後の砦で、岡崎城が解体された明治初頭まで存在していました。

「望楼式二重櫓」と呼ばれる木造2階建で、入り母屋造りの屋根は、岡崎藩主を務めた本多氏の家紋立ち葵が刻まれた本瓦葺きになっています。
壁は白漆喰塗りで、高さ約9.4mで、かつて東曲輪だった岡崎公園駐車場の南東角に位置しています。

1781年(天明元年)の「岡崎城絵図」を基本資料としているが、東隅櫓の図面は現存しなかったため、同時代に築かれていまも現存している松山城の野原櫓などの形式を参考にして、建設されました。
(広島大学大学院の三浦正幸教授が監修)

また石垣には城内で発掘された石材が使われています。
隣接して同時に整備した長さ約45メートルの城壁と合わせ、総工費は約1億円でした。

岡崎公園駐車場近くの広場から見た東隅櫓です。

   

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今日のレビュー

泰平を演じる: 徳川期日本の政治空間と「公然の秘密」

260年近く泰平な世の中であった江戸時代、徳川幕府に付いて知りたくこの本を手にした。
徳川政府(徳川幕府の事)とか、禁裏(朝廷の事)とか、聞き慣れない言葉が所々に出てきて最初は違和感を感じ、アメリカの研究者が書かれたものを翻訳されたものなので仕方がないと思っていましたが、最後まで読み終えると、「そうだったのか」と目から鱗が落ちた気持ちになります。
まとめとしては、徳川政府が把握する「表」の歴史と各大名が把握している「内証」の歴史は違う事をお互いに容認することで争い事のない泰平な世が260年近く続ける事が出来たようです。しかし、諸外国の進出により、この状況を理解させられなかったことから幕府の権威が失墜し、明治維新に繋がったということですが、それに繋がる研究事例がよくまとめられていました。
以上の様に、何故江戸時代が260年近くに渡り泰平な世だったかを理解するのにベストな一冊かと思います。

まーちゃんさん)

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