岡崎城
岡崎城

[愛知県][三河] 愛知県岡崎市康生町561


  • 平均評価:★★★★☆ 3.53(84位)
  • 見学時間:1時間22分(51位)
  • 攻城人数:1904(13位)

岡崎城の天守(岡崎城天守閣)

徳川家康時代の岡崎城には天守はなく、家康の関東移封後に城主となった田中吉政によって最初の天守は築かれました(詳細は不明)。
その後、1617年(元和3年)に本多康紀が城郭を大改修して3重4階(地上3階、地下1階)の複合式望楼型天守を築きましたが、この天守は1873年(明治6年)の廃城令によって廃城となり、1874年(明治7年)に解体されました。

現在建てられている復興天守は1959年(昭和34年)に鉄筋コンクリートで再建されたもので、内部は歴史資料館となっています。
なお、この復興天守は名古屋工業大学の城戸久名誉教授による設計です。

内部は5階建てで、2階から4階は撮影禁止となっていますが、城下町復元模型やビデオコーナー、甲冑や刀剣などの展示が充実しています。

最上階は展望フロアになっています。

廻縁の北側からは逆ビスタラインとして大樹寺が見えるスコープがあります。
(有料の望遠鏡もあります)

天守の入口付近にある案内板です。
(岡崎城の歴史については別ページにて紹介)

岡崎城
 15世紀中頃(室町時代)、西郷弾正左衛門頼嗣(稠頼)が現在の岡崎城の位置にはじめて城を築き、のちに家康の祖父である松平清康が入城し本格的な岡崎城を構えた。1542年(天文11年)12月26日、徳川家康はここ岡崎城内で誕生した。江戸時代、岡崎城は「神君出生の城」として神聖視され、本多氏(康重系統/前本多)、水野氏、松平氏(松井)、本多氏(忠勝系統/後本多)と、歴代譜代大名が城主となった。石高は5万石と少なかったが、大名は岡崎城主となることを誇りにしたと伝えられる。
 現在の天守閣は1959年(昭和34年)に復興され、3層5階の鉄筋コンクリート構造となっている。2階から4階は江戸時代の岡崎を紹介する展示室で、5階は展望室となっており三河平野を一望することができる。
Okazaki Castle
Tradition has it that the first Okazaki Castle was constructed at the present site in Sugo, Okazaki around 1455 by the Saigo family. In the first half of the 16th century, the Saigo family yielded possession of Okazaki Castle to Matsudaira Kiyoyasu, the 7th lord of the Matsudaira family (and the grandfather of Iyeyasu) that had risen into power in northern Mikawa.
The prevailing belief based on recent research work, however, is that the first Oazaki Castle was built in Myodaiji, Okazaki, in the first half of the 15th century, and that Matsudaira Kiyoyasu moved it over to the present site in 1531. Incidentally, the original castle was most probably a fort the size of the main citadel today, on a small plot of land.
In 1590, however, Tanaka Yoshimasa, then lord of the castle, enlarged the precincts surrounded with moats, and Lord Honda Yasunori built a complex castle tower well worthy of the name.
For 3 centuries, Okazaki Castle, honored as the birthplace of the deified Iyeyasu and cradle of the Tokugawa Shogunate, was guarded suceessively by the hereditary vassal daimyos, who, though humbly fiefed, wielded enormous power. At the same time, Okazaki was valued as a strategic point along the Tokaido Highway.
In the Meiji Restoration period, the feudal clans were abolished and in 1873 - 1874, Okazaki Castle was demolished, leaving only its moat and stone wall. In 1959, however, the triple - roofed, five - story donjon, together with the annex and wellhouse, were masterfully reconstructed according to the original model.岡崎市

天守の前には徳川家康の遺言が書かれた石碑があります。

東照公遺訓碑
 人の一生は重荷を負(おい)て遠き道をゆくがごとし、いそぐべからず、不自由を常とおもえば不足なしこころに望(のぞみ)おこらば困窮(こんきゅう)したる時を思いだすべし、堪忍(かんにん)は無事長久(ぶじちょうきゅう)の基(もとい)、いかりは敵とおもえ勝事(かつこと)ばかり知りてまくる事をしらざれば害(がい)其身(そのみ)にいたる、おのれを責て人をせむるな、及ばざるは過(すぎ)たるよりまされり。

慶長8年正月15日

人はただ身のほどを知れ草の葉の 露も重きは落つるものかな。
THE DEIFIED IYEYASU'S TEACHINGS ON THE CONDUCT OF LIFE
Man's life is like going on foot a long way bearing a heavy burden, with no need to hurry. Remember that absolute satisfaction is denied mortals, and you will be contented. If you are ruled by avarice, call to mind the needy circumstances you were once placed in.
Forbearance is the root of peace and prosperity, and if you forget sufferings and defeat, you will be ruined. Be severe in criticizing yourself and be lenient with others. To fall short is better than to go too far.

January, 15, 1603

A man should know himself !
Even the weight of a dewdrop. Bows down a blade of grass.
東照公遺訓碑由来
 この東照公遺訓碑は、額田郡岩津町奥殿(岡崎市奥殿町)出身の加藤賢治郎翁が岡崎市へ寄贈されたものである。
 翁は、岡崎銀行(東海銀行の前身)を創立し、長く同行頭取、相談役として金融界に尽力されたのをはじめ、岡崎商工会議所会頭として、本市の経済界の発展に寄与され、昭和十八年三月九十八歳の天寿を全うされた。
 翁は、終生、徳川家康公の遺訓を座右の銘とされ、これを後世の市民の教化育成に資するため、家康公研究者柴田顕正氏の相図り、この実現の為に時の小瀧市長の賛意を得て建立に到った。
 碑文の文字は田安家徳川達孝氏に、礎石は万年の亀を据え、碑頭には竜城を象徴する 竜を配し、制作施工は岡崎石工研究所長池上年氏に委ねられた。
 碑裏面には、昭和十一年四月十六日建立とのみ刻み、寄贈者名は翁の意志により省略されたままであるが、本年は、遺訓碑が建立されて五十年、また、岡崎市制七十周年の記念すべき年にあたり、記念事業の一環として、この遺訓碑建立の由来を記し、あわせて加藤九十八翁を顕彰する次第である。
   昭和六十一年十二月二十六日岡崎市長 中根鎮夫
家康公遺言
わが命旦夕に迫るといへども将軍斯くおはしませば天下のこと心安し
されども将軍の政道その理にかなはず 億兆の民艱難することもあらんには たれにても其の任に変らるべし
天下は一人の天下に非ず天下は天下の天下なり たとへ他人天下の政勢をとりたりとも四海安穏にして万人その仁恵を蒙らばもとより 家康が本意にしていささかも うらみに思ふことなし

 元和二年四月十七日
  家康公薨七十五才於駿府城大樹寺五十七世
宏天謹書

また、NHK大河ドラマにもなった『徳川家康』の原作者である山岡荘八氏を記念して作られた碑(山岡荘八文学碑)もあります。

   

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