岡崎城
岡崎城

[愛知県][三河] 愛知県岡崎市康生町561


  • 平均評価:★★★★☆ 3.64(45位)
  • 見学時間:1時間21分(30位)
  • 攻城人数:3921(11位)

岡崎城の歴史

岡崎城の起源は15世紀前半まで遡ります。明大寺のあった竜頭山に西郷頼嗣(稠頼)によって築城されたのがそのはじまりです(そのため、別名は竜城、竜ヶ城ともいわれます)。

1570年(元亀元年)、徳川家康は本拠を浜松城に移し、嫡男である信康を岡崎城主としました。1579年(天正7年)に信康が自刃したあとは、重臣の石川数正、ついで本多重次を城代としています。

その後、天下人となった豊臣秀吉によって、1590年(天正18年)に家康が関東に移されると、秀吉の家臣である田中吉政が城主となり、近世城郭として大規模な城郭の整備拡張を行ないました。

家康がこの岡崎城で生まれたこともあり、江戸時代には「神君出生の城」として神聖視され、本多氏(康重系統)、水野氏、松平(松井)氏、本多氏(忠勝系統)と、家格の高い譜代大名が城主となりました。

また、2007年(平成19年)に行われたマンション建設に伴う発掘調査によって、日本国内で4番目の規模の城であることが判明しました(江戸城、豊臣政権下の大坂城、拡張を繰り返した幕末の姫路城に次ぐ規模)。

西暦(和暦)出来事
1452年〜1455年(享徳元年〜康正元年)西郷弾正左衛門頼嗣(稠頼)、竜頭山に築城。
1531年〜1532年(享禄4年〜5年)安城松平4代清康、竜頭山の岡崎城へ移る。
1542年(天文11年)徳川家康、岡崎城内で誕生する。
1590年〜1600年(天正18年〜慶長5年)岡崎城主田中吉政、城と城下町を大改造、天守閣・惣構えの堀を築く。
1617年(元和3年)櫓を持つ複合天守閣に再建。
1871年(明治4年)廃藩置県、額田県成立し旧城内に県庁設置。城址は県有地。
1873年〜1874年(明治6年〜7年)城郭取り壊し、天守閣解体、礎石のみ残る。武家屋敷払い下げ。
1875年(明治8年)旧本丸・二の丸、城址公園となる。
1959年(昭和34年)岡崎城天守復元。
1962年(昭和37年)岡崎城跡約96,700m2を岡崎市史跡に指定。
1982年(昭和57年)旧二の丸跡に、三河武士のやかた家康館開館。
1993年(平成5年)岡崎公園入口に大手門を復元。
2010年(平成22年)東曲輪にあった東隅櫓を木造で再建。
   

この記事をいろんなキーワードで分類してみましょう。

この記事のURLとタイトルをコピーする
これからあなたが訪問するお城をライフワークとして記録していきませんか?(過去に訪問したお城も記録できます)新規登録(登録は無料です)

岡崎城の城メモ一覧

あなたのお城巡りをより便利に快適に、そして楽しくするためにぜひ登録してください。

新規登録(登録は無料です)

フォローしませんか

攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)

今日のレビュー

超約版 家康名語録

サイン本の企画で当選して、楽しく読ませてもらっています。家康の環境が段々と変化していくに連れて名言としてもより変化が感じられ、今まで知らなかった事がたくさんありました!
何より現代においての名言の活用内容なども書かれており、ただの歴史本と言うだけではない本でした

御城印好きさん)

書籍ページを表示する

すべてのレビューを表示する

フィードバックのお願い

攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック

読者投稿欄

いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する

トップへ
戻る