岡崎城の起源は15世紀前半まで遡ります。明大寺のあった竜頭山に西郷頼嗣(稠頼)によって築城されたのがそのはじまりです(そのため、別名は竜城、竜ヶ城ともいわれます)。
1570年(元亀元年)、徳川家康は本拠を浜松城に移し、嫡男である信康を岡崎城主としました。1579年(天正7年)に信康が自刃したあとは、重臣の石川数正、ついで本多重次を城代としています。
その後、天下人となった豊臣秀吉によって、1590年(天正18年)に家康が関東に移されると、秀吉の家臣である田中吉政が城主となり、近世城郭として大規模な城郭の整備拡張を行ないました。
家康がこの岡崎城で生まれたこともあり、江戸時代には「神君出生の城」として神聖視され、本多氏(康重系統)、水野氏、松平(松井)氏、本多氏(忠勝系統)と、家格の高い譜代大名が城主となりました。
また、2007年(平成19年)に行われたマンション建設に伴う発掘調査によって、日本国内で4番目の規模の城であることが判明しました(江戸城、豊臣政権下の大坂城、拡張を繰り返した幕末の姫路城に次ぐ規模)。
西暦(和暦) | 出来事 |
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1452年〜1455年(享徳元年〜康正元年) | 西郷弾正左衛門頼嗣(稠頼)、竜頭山に築城。 |
1531年〜1532年(享禄4年〜5年) | 安城松平4代清康、竜頭山の岡崎城へ移る。 |
1542年(天文11年) | 徳川家康、岡崎城内で誕生する。 |
1590年〜1600年(天正18年〜慶長5年) | 岡崎城主田中吉政、城と城下町を大改造、天守閣・惣構えの堀を築く。 |
1617年(元和3年) | 櫓を持つ複合天守閣に再建。 |
1871年(明治4年) | 廃藩置県、額田県成立し旧城内に県庁設置。城址は県有地。 |
1873年〜1874年(明治6年〜7年) | 城郭取り壊し、天守閣解体、礎石のみ残る。武家屋敷払い下げ。 |
1875年(明治8年) | 旧本丸・二の丸、城址公園となる。 |
1959年(昭和34年) | 岡崎城天守復元。 |
1962年(昭和37年) | 岡崎城跡約96,700m2を岡崎市史跡に指定。 |
1982年(昭和57年) | 旧二の丸跡に、三河武士のやかた家康館開館。 |
1993年(平成5年) | 岡崎公園入口に大手門を復元。 |
2010年(平成22年) | 東曲輪にあった東隅櫓を木造で再建。 |