岡崎城
岡崎城

[愛知県][三河] 愛知県岡崎市康生町561


  • 平均評価:★★★☆☆ 3.47(97位)
  • 見学時間:1時間20分(56位)
  • 攻城人数:1832(12位)

岡崎城の歴史

岡崎城の起源は15世紀前半まで遡ります。明大寺のあった竜頭山に西郷頼嗣(稠頼)によって築城されたのがそのはじまりです(そのため、別名は竜城、竜ヶ城ともいわれます)。

1570年(元亀元年)、徳川家康は本拠を浜松城に移し、嫡男である信康を岡崎城主としました。1579年(天正7年)に信康が自刃したあとは、重臣の石川数正、ついで本多重次を城代としています。

その後、天下人となった豊臣秀吉によって、1590年(天正18年)に家康が関東に移されると、秀吉の家臣である田中吉政が城主となり、近世城郭として大規模な城郭の整備拡張を行ないました。

家康がこの岡崎城で生まれたこともあり、江戸時代には「神君出生の城」として神聖視され、本多氏(康重系統)、水野氏、松平(松井)氏、本多氏(忠勝系統)と、家格の高い譜代大名が城主となりました。

また、2007年(平成19年)に行われたマンション建設に伴う発掘調査によって、日本国内で4番目の規模の城であることが判明しました(江戸城、豊臣政権下の大坂城、拡張を繰り返した幕末の姫路城に次ぐ規模)。

西暦(和暦)出来事
1452年〜1455年(享徳元年〜康正元年)西郷弾正左衛門頼嗣(稠頼)、竜頭山に築城。
1531年〜1532年(享禄4年〜5年)安城松平4代清康、竜頭山の岡崎城へ移る。
1542年(天文11年)徳川家康、岡崎城内で誕生する。
1590年〜1600年(天正18年〜慶長5年)岡崎城主田中吉政、城と城下町を大改造、天守閣・惣構えの堀を築く。
1617年(元和3年)櫓を持つ複合天守閣に再建。
1871年(明治4年)廃藩置県、額田県成立し旧城内に県庁設置。城址は県有地。
1873年〜1874年(明治6年〜7年)城郭取り壊し、天守閣解体、礎石のみ残る。武家屋敷払い下げ。
1875年(明治8年)旧本丸・二の丸、城址公園となる。
1959年(昭和34年)岡崎城天守復元。
1962年(昭和37年)岡崎城跡約96,700m2を岡崎市史跡に指定。
1982年(昭和57年)旧二の丸跡に、三河武士のやかた家康館開館。
1993年(平成5年)岡崎公園入口に大手門を復元。
2010年(平成22年)東曲輪にあった東隅櫓を木造で再建。
   

この記事をいろんなキーワードで分類してみましょう。

この記事のURLとタイトルをコピーする
これからあなたが訪問するお城をライフワークとして記録していきませんか?(過去に訪問したお城も記録できます)新規登録(登録は無料です)

岡崎城の城メモ一覧

あなたのお城巡りをより便利に快適に、そして楽しくするためにぜひ登録してください。

新規登録(登録は無料です)

フォローしませんか

攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)

今日のレビュー

レンズが撮らえた幕末日本の城―永久保存版

幕末から昭和にかけて、
レンズにおさめられた貴重な城郭が
惜しみなく掲載されている。
廃城令や戦災で失われた城も多く、
一般に発売されている資料としては
超一級品だと思う。
事前に見てから攻城すると、
天守閣がなくなっていたり、
遺構が少ない城跡でも、
当時の情景が重ねられて、
タイムスリップできた気分になれる。
城好きには一家に一冊あって
絶対損しない資料。

玄之丞さん)

書籍ページを表示する

すべてのレビューを表示する

フィードバックのお願い

攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック

読者投稿欄

いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する

トップへ
戻る