大樹寺(正式には成道山松安院大樹寺)は徳川氏(松平氏)の菩提寺で、歴代当主の墓や歴代将軍の位牌が安置されています。
1475年(文明7年)2月22日に安城城主であり、松平氏宗家当主の松平親忠が戦死者供養のため、勢誉愚底を開山として創建したことにはじまります。
1560年(永禄3年)の「桶狭間の戦い」では今川軍として敗走する松平元康(徳川家康)がここに逃げ帰り、先祖の墓前で自害しようとしたが、住職の登誉に諭されて思い留まったという逸話もあります。
なお、大樹寺に安置されている江戸幕府歴代将軍の位牌は、それぞれ将軍の臨終時の身長と同じという説があります。
(15代将軍慶喜の位牌だけ大樹寺に置かれていないのは将軍職を引いた後も存命であったことと、臨終に際し自らを赦免し爵位まで与えた明治天皇に対する恩義から神式で葬られることを遺言したため)
各位牌の高さは以下のとおりです(Wikipediaより)。
- 家康 159・0センチ
- 秀忠 160・0センチ
- 家光 157・0センチ
- 家綱 158・0センチ
- 綱吉 124・0センチ
- 家宣 156・0センチ ※増上寺の遺骨改葬時調査による推定身長は160センチ前後
- 家継 135・0センチ ※満6歳薨去(こうきょ)
- 吉宗 155・5センチ ※身長は六尺(約180センチ)あったとも伝えられる。
- 家重 151・4センチ ※増上寺の遺骨改葬時調査による推定身長は156センチ前後
- 家治 153・5センチ
- 家斉 156・6センチ
- 家慶 153・5センチ ※増上寺の遺骨改葬時調査による推定身長は154センチ前後
- 家定 149・9センチ
- 家茂 151・6センチ ※増上寺の遺骨改葬時調査による推定身長は157センチ前後
当時の平均身長から大きく外れているのは綱吉と家継の位牌ですが、これを根拠に綱吉が低身長症であった、家継が巨人症であった、などの説が存在するそうです。
また、この大樹寺の本堂からは三門、総門を通して、岡崎城の天守を正面に見ることができます。
大樹寺と岡崎城天守を結ぶ約3kmの直線は「ビスタライン」と呼ばれています。
大樹寺の観光情報
住所 | 愛知県岡崎市鴨田町広元5-1 |
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URL | http://home1.catvmics.ne.jp/~daijuji/ |