岡崎城
岡崎城

[愛知県][三河] 愛知県岡崎市康生町561


  • 平均評価:★★★★☆ 3.57(55位)
  • 見学時間:1時間20分(32位)
  • 攻城人数:4158(11位)

昔の舟着き場

江戸時代、岡崎城裏手の乙川沿いには船着場がありました。

昔の舟着き場
昔は帆掛け舟が荷物をたくさん積んで菅生川(乙川)を上り下りした。ここが積荷をあげおろしした昔の舟着き場である。岡崎には「五万石」という古謡がある。「五万石でも岡崎さまは、お城下まで舟が着く」。この帆掛け舟を形どった碑は当地方特産の花崗岩で出来ており、その古謡に因んで「五万石舟」という。
The old port
In ancient times, salling boats full of goods went up and down the Sugo River (Otogawa). This spot was once a port for loading and unloading the boats. There is an old folk song called "Gomangoku". It begins as follows: "Although Okazaki-sama is the Lord of only 50 thousand 'goku', boats still arrive at the base of his castle." This boat monument is made from the special granite of this area and is named "Gomangoku-bune".

いまもお祭りのときには屋形船が浮かんでいたりします。

乙川にかかる橋(殿橋)から見た船着場付近の写真です。

   

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今日のレビュー

図説 近世城郭の作事 櫓・城門編

三浦先生が書かれた「近世城郭の作事 天守編」に続き、今回は「櫓・城門・土塀」編を読みました。特に、城門、土塀については書いてあることのほとんどが初めて知る事でした。城門の種類ですが、薬医門は安土桃山時代だけで、高麗門は文禄・慶長の役で朝鮮半島での築城時に発明され、構造は薬医門と変わりませんが屋根が小さいので防戦上で有利、屋根が小さいので用材が少なくて済むなど、関ヶ原の戦い後、薬医門から進化した高麗門に取って代わられたそうで、現在城跡に残っているのは圧倒的に高麗門で、医薬門は少ないとの事です。また、関ヶ原以前の櫓門では石落がないので、櫓門の石落は関ヶ原以降の発明と考えられるとの事を初めて知ります。土塀についても、付壁塀、築壁塀など色々な種類があるそうで、天守、櫓以外に城門、土塀にも注目することにより、新たなお城巡りの楽しみを再発見させてもらえた一冊だと思います。

まーちゃんさん)

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