郡上八幡城は1559年(永禄2年)に遠藤盛数が砦を築いたことからはじまります。
遠藤盛数の長男、慶隆が城主のころ本能寺の変がおきますが、羽柴秀吉と対立する織田信孝の傘下だったため追放されてしまいました。
1588年(天正16年)、稲葉貞通が城主となり、現在の郡上八幡城の基礎となるような大改修がおこなわれました。
その後、「関ケ原の戦い」の功によってふたたび遠藤慶隆が城主となります。
以降、遠藤氏5代、金森氏2代、青山氏7代と城主がかわりながら、郡上藩として幕末まで藩庁として機能しました。
現在の郡上八幡城天守
現在建てられている郡上八幡城天守は1933年(昭和8年)に大垣城を参考に模擬天守として建てられたもので、2つの隅櫓とともに全国にさきがけて再建されました。
(模擬天守ではありますが、郡上八幡城は日本最古の木造再建天守です)
海抜353.95mの八幡山山頂に4層5階の城として建てられています。
内部は歴史資料館となっており、郡上八幡城ゆかりの資料が展示されています。
織田・徳川軍と浅井・朝倉軍が戦った「姉川の戦い」で、第2代・第4代城主の遠藤慶隆が着用したと伝えられている鎧や、青山家の家宝の鎧、郡上八幡合戦絵図などの展示が充実しています。
天守からは城下の家並みを眺めることができるようになっています。
郡上八幡城について
城郭 | 1933年(昭和8年)再建 |
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構造 | 4層5階木造建築(木造再建城としては、日本最古) |
天守閣の規模 |
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つけやぐらの規模 |
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