郡上八幡城
郡上八幡城

[岐阜県][美濃] 岐阜県郡上市八幡町柳町一の平659


  • 平均評価:★★★★☆ 3.58(58位)
  • 見学時間:1時間1分(78位)
  • 攻城人数:2305(54位)

郡上八幡城の天守

郡上八幡城は1559年(永禄2年)に遠藤盛数が砦を築いたことからはじまります。
遠藤盛数の長男、慶隆が城主のころ本能寺の変がおきますが、羽柴秀吉と対立する織田信孝の傘下だったため追放されてしまいました。
1588年(天正16年)、稲葉貞通が城主となり、現在の郡上八幡城の基礎となるような大改修がおこなわれました。

提供:一般財団法人 郡上八幡産業振興公社

その後、「関ケ原の戦い」の功によってふたたび遠藤慶隆が城主となります。
以降、遠藤氏5代、金森氏2代、青山氏7代と城主がかわりながら、郡上藩として幕末まで藩庁として機能しました。

現在の郡上八幡城天守

現在建てられている郡上八幡城天守は1933年(昭和8年)に大垣城を参考に模擬天守として建てられたもので、2つの隅櫓とともに全国にさきがけて再建されました。
(模擬天守ではありますが、郡上八幡城は日本最古の木造再建天守です)

海抜353.95mの八幡山山頂に4層5階の城として建てられています。

提供:一般財団法人 郡上八幡産業振興公社

内部は歴史資料館となっており、郡上八幡城ゆかりの資料が展示されています。

提供:一般財団法人 郡上八幡産業振興公社

織田・徳川軍と浅井・朝倉軍が戦った「姉川の戦い」で、第2代・第4代城主の遠藤慶隆が着用したと伝えられている鎧や、青山家の家宝の鎧、郡上八幡合戦絵図などの展示が充実しています。

天守からは城下の家並みを眺めることができるようになっています。

提供:一般財団法人 郡上八幡産業振興公社

郡上八幡城について

城郭1933年(昭和8年)再建
構造4層5階木造建築(木造再建城としては、日本最古)
天守閣の規模
建面積
118.98m2(35.99坪)
延面積
309.11m2(93.50坪)
高さ
17.18m
つけやぐらの規模
建面積
22.09m2(6.68坪)
延面積
22.09m2(6.68坪)
高さ
3.72m
   

この記事をいろんなキーワードで分類してみましょう。

この記事のURLとタイトルをコピーする
これからあなたが訪問するお城をライフワークとして記録していきませんか?(過去に訪問したお城も記録できます)新規登録(登録は無料です)

郡上八幡城の城メモ一覧

あなたのお城巡りをより便利に快適に、そして楽しくするためにぜひ登録してください。

新規登録(登録は無料です)

フォローしませんか

攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)

今日のレビュー

戦国の終わりを告げた城―八王子城を探る (ロッコウブックス)

おそらく、八王子城の解説本の中で最も重要な一冊でしょう。
八王子城跡が現在のように整備されたのは、落城400年にあたる1990年以降のことです。本書の出版も同時期で、出版後に発見された遺構もあれば、今は目にすることのできない遺構も多数あります。言い換えると、1990年当時の八王子城跡の姿を記録した書であるとも言えます。八王子城に興味を持ってくださった方にはお薦めの一冊です。すでに廃刊となっていますので、古書店か図書館で探してください。
トンネル工事や台風・地震などにより、現在は失われてしまった石垣などの貴重な写真も多数掲載されていますが、白黒で小さいため分かり辛いのが残念。

赤ヱ門さん)

書籍ページを表示する

すべてのレビューを表示する

フィードバックのお願い

攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック

読者投稿欄

いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する

トップへ
戻る