郡上八幡城
郡上八幡城

[岐阜県][美濃] 岐阜県郡上市八幡町柳町一の平659


  • 平均評価:★★★★☆ 3.60(80位)
  • 見学時間:1時間4分(151位)
  • 攻城人数:912(59位)

郡上八幡城の歴代城主一覧(郡上藩・歴代藩主)

郡上八幡城は1559年(永禄2年)の遠藤盛数による築城以来、遠藤家、井上家、金森家、青山家らが城主をつとめました。

提供:一般財団法人 郡上八幡産業振興公社(撮影:内田勝美)

ちなみに郡上八幡城の城主は織田信長豊臣秀吉徳川家康と深く関係しています。
本能寺の変」によって信長が亡くなったあと、遠藤家は織田信孝の傘下に属していたため、権力者となった羽柴秀吉によって追放されます。当時の城主は遠藤慶隆でした。

かわって入ったのが稲葉貞通です。貞通は「本能寺の変」の際には京都にいましたが、信長が殺されたことを知ると京都を脱出して難を逃れました。
なお、貞通の時代に郡上八幡城は大改修をおこない、近世城郭として整備されました。

1600年(慶長5年)の「関ケ原の戦い」では、貞通は当初西軍に属していたこともあり(のちに東軍に寝返る)、ふたたび慶隆が城主として郡上八幡城に戻ってきます。
慶隆は2代城主と4代城主をつとめたということになります。

江戸時代に入ってからは遠藤氏のあと、井上氏2代、金森氏2代、青山氏7代と城主が変遷しています。このなかにはのちの老中、井上正岑などもいました。

郡上八幡城の歴代城主

歴代 西暦(和暦)城主メモ
11559年(永禄2年)遠藤盛数(もりかず)
21562年(永禄5年)遠藤慶隆(よしたか)
31588年(天正16年)稲葉貞通(さだみち)
41600年(慶長5年)遠藤慶隆(よしたか)関ケ原合戦に遊軍として参加し、11月に再び八幡城主となる
51632年(寛永9年)遠藤慶利(よしとし)
61646年(正保3年)遠藤常友(つねとも)
71676年(延宝4年)遠藤常春(つねはる)
81689年(元禄2年)遠藤常久(つねひさ)幕府の許可をうけて八幡城の大修築を実施。城下を拡張整備し「城主格」から「城主」の称をゆるされた。
91692年(元禄5年)井上正任(まさとう)
101693年(元禄6年)井上正岑(まさみね)
111697年(元禄10年)金森頼峕(頼時)(よりとき)
121736年(元文元年)金森頼錦(よりかね)宝暦騒動(郡上一揆)が起き、1758年(宝暦4年)金森家断絶。
131758年(宝暦8年)青山幸道(よしみち)
141775年(安永4年)青山幸完(よしさだ)
151791年(完成3年)青山幸孝(ゆきたか)
161816年(文化13年)青山幸寛(ゆきひろ)
171832年(天保3年)青山幸礼(ゆきのり)
181838年(天保9年)青山幸哉(ゆきしげ)
191863年(文久3年)青山幸宣(ゆきより)
   
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