墨俣城の裏手にまわる途中に「藤吉郎の馬柵」が再現されています。
藤吉郎の馬柵(とうきちろうのうまさく)
永禄九年(一五六六年)九月墨俣築城において斎藤税の騎馬を防ぐため、地上高さ一間、地中三尺、松桧材使用藤づる二重巻きにて結び、城の周囲に二重に柵総数延長千八百間をめぐらした。(前野文書より)
となりに石碑が建てられています。
墨俣城
戦国の頃尾張の織田信長は美濃進出の足場とするため洲股に砦を築こうと企て佐久間信盛柴田勝家等に築城を命じたが相次ぎ失敗したので大いに怒った 時に木下藤吉郎秀吉進んでこれに当たる 永禄九年九月蜂須賀小六等の野武士二三千人を率いて大小の長屋十棟櫓十棟堀二千間木柵五万本分人夫一千人を使い夜を日に次いで普請を急がせた 七日程にて大かた城もでき一夜の内に堀櫓を押し立て塗り立て完成したように見せかけたので攻撃中の井ノ口の斎藤龍興の城兵八千余騎は驚いて敗走した 信長はその功を賞し秀吉を城主とした 俗に一夜城という 秀吉出世の由緒ある城である