勝龍寺城の北門は「山崎の戦い」で敗れた明智光秀が夜陰に紛れて落ち延びた門といわれています。
いわゆる枡形虎口の構造になっていますが、これは細川藤孝が改修した際に築かれたそうです。
北門跡
本丸の北西隅から北の出入口が見つかった。この出入口を囲む土塁は高さ二メートル以上の石垣があり、立派な門が建てられていた。
城内に入るには、堀を渡って第一の門をくぐり四角い形の広場に出る。突き当たりを左に折れ、第二の門を通り、やっと城内に入れる。これは攻め入る敵を土塁上から攻撃し、簡単に城内に入れない構造になっていた。
この門から山崎合戦に敗れた明智光秀が逃げ出したといわれる。
平成四年三月長岡京市
現在の北門の外側はメインの出入口としては使われていませんが、門の構造はいまでもよくわかります。
外から見るとこんな感じです。