勝龍寺城の北東隅には隅櫓が、また東面の石垣上には多聞櫓がありました。
東辺土塁(とうへんどるい)と多聞櫓(たもんやぐら)
本丸の東辺に築かれた土塁上の平坦面で、二列の石垣が見つかった。この幅四メートルの間に北東隅の建物(隅櫓)とつながった長屋風の建物(櫓)があったと考えられる。このような構造の建物は多聞櫓と呼ばれ、中に弓矢や槍、鉄砲、火薬などの武器が納められ、城外の敵を攻撃できるようになっていた。
また、土塁の斜面にはテラス状の平坦面をつくり、井戸を設けていた。
平成四年三月長岡京市
多聞櫓があったと思われる平坦面です。
この前に北東隅櫓がありました。
現在は四阿(あずまや)が建てられています。
また、本丸北面には多門櫓、隅櫓への階段があったことが確認されています。
多聞櫓への階段
本丸の北東隅から石垣で築かれた高さ四メートルの土塁が見つかった。この土塁に登る斜面には大きな自然の石を使った階段が七段造られていた。
土塁の上は一辺が一〇メートル四方の広い平坦な面があり、城の外を監視、攻撃するための建物があったことを裏付けた。この建物は東辺の土塁上に伸びる多聞櫓という長屋風の建物と思われる。
平成四年三月長岡京市
本丸から見た、土塁上の四阿です。
階段をのぼったところから見た四阿です。
勝竜寺城公園の外側から見た四阿です。