勝竜寺城公園は1992年(平成4年)に整備された公園で、管理棟は模擬櫓として建てられました。
2007年(平成19年)2月には「日本の歴史公園100選」に選ばれています。
入口にはここが勝龍寺城の本丸跡だったことを示す案内板があります。
本丸跡(ほんまるあと)
城の心臓部にあたる本丸は、東西約一〇五メートル、南北約七〇メートルで、その周囲には水を湛(たた)えた幅広い堀が造られ、その内側に高く土を盛り上げた土塁を巡らしている。
堀は深さ約三メートルで、幅が一五メートルを越え、土塁の裾には石垣が築かれていた。土塁は高さ四~五メートルで、四方を取り囲んでいた。しかも、最も高く築いた西辺の土塁は、四角い形をした本丸の南側に張り出していた。これは南門から攻め入ろうとする敵をこの高い土塁上から攻撃する目的があったと考えられる。
土塁南辺の中央に推定される南門の位置では、杭列(くいれつ)や大きな石垣が見つかった。北西隅からは石垣で築いた北門が、北東隅では土塁に登る階段が、東辺の土塁上では長屋風の建物(多聞櫓(たもんやぐら))の土台である石垣などが発見された。
本丸内では、西半部で南北方向の堀や石で蓋(ふた)された溝などが、東半部で井戸二基や礎石建物三棟が見つかった。堀は幅約四メートル、深さ約二メートルで、井戸はいずれも深さ約二メートル、直径〇・九メートルの石組みのものであった。
平成四年三月長岡京市
門をくぐります。
細川家の家紋である「九曜紋」があちこちにあります。
管理棟の1階は休憩室になっています。
2階には資料が展示されています。
公園の庭園側から見た管理棟です。
公園の周囲につくられた堀には鯉が泳いでいました。