上杉謙信は出陣前に必ず毘沙門堂にこもって策を練り、勝利を祈願したといわれます。
1931年(昭和6年)11月に復元された毘沙門堂には謙信が深く信仰したといわれる毘沙門天像(青銅製、約50cm)が安置されています。
なお、近くにある石碑の位置が毘沙門堂があった正確な位置だそうです。
当時の毘沙門天像は上杉家の移封とともに会津、米沢へと移りましたが、1849年(嘉永2年)の火災で一部を残して焼失してしまいました。それを1928年(昭和3年)に第15代当主である上杉憲章氏が東京美術学校に修理依頼され、高村光雲氏が一年余を費やして修理しています。
その際に尊像の欠け損じを腹部に入れた分身となる像をつくり、1930年(昭和5年)に春日村(現在の上越市)に寄進されたのが、現在ここに安置されている毘沙門天像です。
ふだんは扉が閉められているため見ることはできませんが、掃除などで扉が開けられる際には見ることができるそうです。