春日山城
春日山城

[新潟県][越後] 新潟県上越市中屋敷字春日山


  • 平均評価:★★★★☆ 3.68(43位)
  • 見学時間:1時間32分(17位)
  • 攻城人数:1371(74位)

春日山城のパンフレット

上越市観光振興課によって作成された春日山城の公式パンフレットです。

提供:上越市観光振興課
提供:上越市観光振興課
春日山城と上杉謙信公ミニガイド
戦国の名将・上杉謙信公の城として今も天下にその名をとどろかせている春日山城は、越後守護上杉氏が戦時のために築いた城で、今の県庁にあたる守護所(直江津駅南)から約4kmの位置にあり、関東・信濃・北陸への往来が一目で監視でき、守護代長尾氏が守護所と連繋して守っていました。
春日山城は、石垣の代わりに、自然の起伏を活かした空堀・土塁などによって多くの郭を守っていました。また天守閣を持たず、周囲の山々に砦を築いて、より大きな城としての機能をもたせていました。こうした城の造りは、戦国時代の山城としての特徴をよく表しています。
天正7年(1579)に養子の上杉景勝に、慶長3年(1598)には堀秀治に引継がれました。しかし、堀氏が慶長12年(1607)直江津港近くに福島城を新築して移ると、城としての運命を終えました。
春日山城跡は、城としての歴史だけでなく、自然の宝庫として、四季折々の豊かな表情を訪れる人々に見せてくれます。
戦国の名将
謙信公は享禄3年(1530)、越後守護代長尾為景の末子として生まれ、7歳のとき林泉寺に入り、名僧・天室光育(てんしつこういく)から厳しく文武の道を習っています。
14歳で元服して長尾景虎と名乗り、19歳で兄・晴景に代わって越後守護代になりました。以後、越後統一、信濃・関東・北陸への出兵が生涯続きます。永禄4年(1561)に鎌倉の鶴岡八幡宮で上杉姓と関東管領(かんとうかんれい)職を上杉憲政から譲られ、上杉氏を名乗ることになります。
天文22年(1553)と永禄2年(1559)の2度にわたって上洛し、天皇や将軍に拝謁して、深く信頼されました。
武田信玄と5度も川中島で戦っていながら、かえって信玄に救援の塩を送ったり、また領土的野心で戦をしたことは一度も無かったといわれるほど「義」に篤い人でした。
天正6年(1578)、関東出兵を前にして、突然、49歳の生涯をとじました。
提供:上越市観光振興課
提供:上越市観光振興課
提供:上越市観光振興課
   

この記事をいろんなキーワードで分類してみましょう。

この記事のURLとタイトルをコピーする
これからあなたが訪問するお城をライフワークとして記録していきませんか?(過去に訪問したお城も記録できます)新規登録(登録は無料です)

春日山城の城メモ一覧

あなたのお城巡りをより便利に快適に、そして楽しくするためにぜひ登録してください。

新規登録(登録は無料です)

フォローしませんか

攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)

今日のレビュー

[新装版]戦国武田の城

武田氏が進出していった山梨からはじまり長野、群馬、静岡、愛知の5県にわたる足跡を追った1冊です。どのように攻め進んだか動きがわかるのでおもしろいです。

むぎさん)

書籍ページを表示する

すべてのレビューを表示する

フィードバックのお願い

攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック

読者投稿欄

いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する

トップへ
戻る