篠山城には築城当初より天守台はありましたが、天守は築かれませんでした。
これは石垣や堀をはじめとする城の造りがあまりにも堅固すぎることを幕府が懸念したためと伝えられています。
(天下普請で築城名人である藤堂高虎に縄張りを担当させたのも幕府のはずなんですけどね)
天守台は現在も残っています。
天守台にのぼると石碑があります。
天守台(てんしゅだい)
天守台は本丸(殿主丸)南東部の城内で最も高く、奥まったところに位置し、石垣の高さは約17m、平面規模は東西約18m、南北約20mであります。
築城(1609)時に、天守閣は江戸幕府の指示により、城郭(じょうかく)が堅固(けんご)すぎるとの理由で建築を中止し、代わって、南東隅に二間四方(4m四方)単層の隅櫓(すみやぐら)を配置し、東面と南面に土塀をめぐらせていました。
東方には丹波富士と呼ばれる中世の山城である高城山(たかしろやま、八上城跡)が美しい姿を見せております。
平成10年10月吉日篠山町