篠山城の二の丸御殿跡は古絵図にのっとって、当時の部屋割りをみかげ石で区切り、平面表示の工法で、2002年(平成14年)に完成しました。
総工費1億1千万円をかけて整備されました。
史跡篠山城跡二の丸御殿整備
平成10年度に「史跡篠山城跡二の丸御殿及び外構設計検討委員会」を設け、整備方針及び内容を決定し、平成11〜13年度にかけて国、県の補助を受け、整備工事を実施した。
御殿は、大書院(おおしょいん)のように立体的に復元できる資料がないため、現在発見されている6種類の間取図の中で最も古い図(江戸時代中期頃)をもとに平面表示の工法で整備を実施した。
さらに遺構保護の観点や建物跡が明確に周辺と異なった空間であったことを示すため、盛土(もりど)により御殿跡全体を周辺地盤よりかさ上げした。二の丸
二の丸は、大書院、小書院(こしょいん)、中奥御殿(なかおくごてん)、奥御殿(おくごてん)、台所(だいどころ)などの建物と築山(つきやま)をもつ庭園があり、儀式、執務を行う場と城主の生活空間の場で篠山城で最も重要な場所であった。
これらの御殿群の周囲には三層の櫓1棟、二層の隅櫓5棟とそれをつなぐように多聞櫓(たもんやぐら)と門が配置されていた。
現在残っている二の丸御殿間取図(にのまるごてんまどりず)や発掘調査の結果から御殿は、江戸時代に何度か建て替えられたり、増築されたりしていたようである。
しかし大書院を除く建物は廃藩後には取り壊され、唯一残っていた大書院も昭和19年に焼失し、城郭の建物はすべて無くなってしまっていた。