三の丸奥書院は1677年(延宝5年)、久野家3代当主・久野宗俊の時代に造営された書院です。
富士見門とともに貴重な田丸城の建築遺構です。
もともとは三の丸御殿の一部で、明治維新に廃城になった際、一度は民間に払い下げられ、明和町竹川にある農家が住居として使用していましたが、1991年(平成3年)に城址に再移築されました。
建物は典型的な書院つくりで、花頭窓(火燈窓)とよばれる書院窓が特徴で、欄間は障子になっています。
この書院はふだんは城にいない城主が入城した際の居間や寝所として使用されたようです。
現在の村山龍平記念館の裏手にあります。