田丸城は南北朝時代に南朝方の拠点として北畠親房、北畠顕信によって築かれたといわれています。戦国時代には織田信長の伊勢侵攻に伴い、北畠具教の養嗣子となった織田信雄の居城として、3重3階の天守を備えた近世城郭へ改修されますが、5年後に火災で天守を焼失してしまったため現存していません。江戸時代には徳川御三家の一つ紀州徳川家の治める紀州藩の所領として、久野氏が城主を務めました。現在も天守台や石垣、堀などの遺構が残っており、他所へ移築されていた富士見門、三の丸の奥書院なども再移築され、整備されています。田丸城は南北朝時代の中世城郭と織豊系の近世城郭と両方の遺構をあわせ持つ城となっています。
目次
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田丸城に関するデータ 情報の追加や修正
51.4 m
内郭:-- 外郭:--
3重3階
4 m
1575年(天正3年)頃に望楼型で3重3階の天守があったとされるが、1580年(天正8年)に放火で焼失。後に再建されたが、1651年(慶安4年)に暴風雨で倒壊した。
北畠親房
着工 1336年(延元元年/建武3年)
織田信雄、稲葉重通
北畠親房、織田信雄、稲葉重通、久野宗成
門、天守台、石垣、堀
県史跡
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | 梯郭式 |
縄張形態 | 平山城 |
標高(比高) | 51.4 m( -- ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
天守縄張、天守形式 | 複合式望楼型 |
天守の階数 | 3重3階 |
天守の種類 | 非現存天守 天守の分類 |
天守の高さ | |
天守台石垣の高さ | 4 m |
天守の広さ(延床面積) | |
天守メモ | 1575年(天正3年)頃に望楼型で3重3階の天守があったとされるが、1580年(天正8年)に放火で焼失。後に再建されたが、1651年(慶安4年)に暴風雨で倒壊した。 |
築城主 | 北畠親房 |
築城開始・完了年 | 着工 1336年(延元元年/建武3年) |
廃城年 | |
主な改修者 | 織田信雄、稲葉重通 |
主な城主 | 北畠親房、織田信雄、稲葉重通、久野宗成 |
遺構 | 門、天守台、石垣、堀 |
指定文化財 | 県史跡 |
復元状況 |
更新日:2024/03/19 14:41:57
田丸城の見所や歴史などを紹介します。
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 | 玉城町役場にあり |
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この本は日経新聞の土曜朝刊別刷に掲載中の「何でもランキング(1〜10位)」の旅に関する記事をまとめたもの(2019年8月発行)。《第1部、絶景を見に行く》のコーナーには「闇夜に浮かぶ城、冬こそ必見」、《第2部、そぞろ歩きを楽しむ》には「1日で散策満喫、ほどよいサイズの城下町」のページがあってそれぞれ10の城と城下町が紹介されています。松本城と弘前城は両方にランクイン、また「〜城下町」の方にはこうの団長のコメントや「調査の方法」のところには「お城ファンサイト「攻城団」などの推薦や…」というちょっと嬉しい表記も。
たまには攻城しないお出かけ先を探してみようと久しぶりに書棚から出したのですが、やっぱり「城、城下町」のページを真っ先にチェックしました。さて、同行者の満足ポイント(街歩きと地元の食やお酒)があって、ほどよく攻城できる次の行き先はどこになるかな。
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