清洲城
清洲城

[愛知県][尾張] 愛知県清須市朝日城屋敷1-1


  • 平均評価:★★★☆☆ 3.29(81位)
  • 見学時間:1時間(71位)
  • 攻城人数:2819(41位)

清洲城の石垣

清洲城の前にある大手橋をわたったところに、復元石垣が展示されています。

この石垣は1610年(慶長15年)頃、清洲越直前に存在していた本丸南側の石垣で、1996年(平成8年)に行なわれた遺跡調査で発見されたものです。

清洲城の石垣
 清洲城は、応永年間(千四百年頃)に、尾張守護職であった斯波義重(しばよししげ)により守護所下津城(現稲沢市)の別郭として築城されたといわれている。その後、文明八年(一四七六)守護所が清洲に移されると、津島などとともに尾張有数の都市として繁栄した。
 その後、織田信長、織田信雄と城主をかえ、徳川家康の命により慶長十五年(一六一〇)「清洲越」が始まり、城下の住民や石垣、建物等の大部分が名古屋城へ移され清洲城は廃城となる。
 復元された本石垣は、平成八年に河川事業に伴い実施された遺跡調査により、清洲公園前の五条川右岸(現在は下流二〇〇米に銘板で表示)で発見されたもので、清洲越直前の本丸南側の石垣と考えられる。
 石垣の基礎は、軟弱な地盤に耐えられる様に松材を用いた「梯子胴木(はしごどうぎ)」と呼ばれる構造になっており、石材はこの基礎の上に「野面積み」と呼ばれる戦国時代にかけて用いられた技法により積まれている。平成十三年三月
愛知県教育委員会
清洲町
愛知県河川工事事業所
   

この記事をいろんなキーワードで分類してみましょう。

この記事のURLとタイトルをコピーする
これからあなたが訪問するお城をライフワークとして記録していきませんか?(過去に訪問したお城も記録できます)新規登録(登録は無料です)

清洲城の城メモ一覧

あなたのお城巡りをより便利に快適に、そして楽しくするためにぜひ登録してください。

新規登録(登録は無料です)

フォローしませんか

攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)

今日のレビュー

関東三国志 ―越相同盟と北条氏邦―

関東での勢力争いを後北条氏目線で解説しています。時間軸としては河越夜戦に至る経過から、甲相駿三国同盟、越相同盟までになります。鎧、画像、文などの資料がかなり収録されています。

ともさん)

書籍ページを表示する

すべてのレビューを表示する

フィードバックのお願い

攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック

読者投稿欄

いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する

トップへ
戻る