清洲城
清洲城

[愛知県][尾張] 愛知県清須市朝日城屋敷1-1


  • 平均評価:★★★☆☆ 3.36(80位)
  • 見学時間:1時間2分(73位)
  • 攻城人数:2631(37位)

桶狭間古戦場伝説地

愛知県豊明市には「桶狭間の戦い」の推定値のひとつ、桶狭間古戦場伝説地があります。

古戦場
 この地は、永禄三年(一五六〇)五月十九日、今川義元が織田信長に襲われ戦死した所と伝えられ、田楽狭間、あるいは舘狭間と呼ばれた。
 今川義元・松井宗信・無名の人々の塚があり、明和八年(一七七一)七石表が建てられた。文化六年(一八〇九)には桶狭間弔古碑が建立された。また、戦死者を弔って建てられた、おばけ地蔵・徳本行者念仏碑などがある。
  昭和十二年十二月二十一日 国指定史跡 豊明市教育委員会
今川治部大輔義元(いまがわじぶだゆうよしもと)の墓
駿河・遠江・三河の国主、今川義元は西上の途次、永禄三年(一五六〇)五月十九日に織田信長の奇襲に遭い、ここで倒れた。ここには、その霊が祭られている。
 以前、ここは塚であったが有松の住人山口正義が主唱し明治九年五月に、この墓を建てた。 豊明市教育委員会
七石表(一号碑)
 桶狭間の戦いで今川義元の戦死した場所を示す、最も古いものである。
 明和八年(一七七一)、尾張藩士人見弥右衛門桼、赤林孫七郎信之により建てられた。
此面「今川上総介義元戦死所」
東面「桶峡七石表之一」
南面「明和八年卯十二月十八日造」と刻まれている。 豊明市教育委員会

向かいにある高徳院には今川義元本陣跡の石碑があります。

桶狭間古戦場伝説地の観光情報

住所愛知県豊明市栄町南舘11
   

この記事をいろんなキーワードで分類してみましょう。

この記事のURLとタイトルをコピーする
これからあなたが訪問するお城をライフワークとして記録していきませんか?(過去に訪問したお城も記録できます)新規登録(登録は無料です)

清洲城の城メモ一覧

あなたのお城巡りをより便利に快適に、そして楽しくするためにぜひ登録してください。

新規登録(登録は無料です)

フォローしませんか

攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)

今日のレビュー

天下 家康伝 上 (文春文庫)

徳川家康の生涯を描いた小説です。
大阪の陣が終わり江戸から駿府に向かう途中、泉頭の地で過去を回想する場面から始まります。一向一揆との戦い、三方ヶ原での敗北、嫡男信康の自刃、伊賀越えの窮地、小牧・長久手での辛酸、多くの出来事が家康の心情とともに描かれます。「家康の考える天下とは何か」が物語の主軸となっており、家康の生き様を感じることができました。
本作品は大河ドラマ「天地人」の原作者でもある火坂雅志氏の遺作になります。

伝もものふ山田(ヤマー)さん)

書籍ページを表示する

すべてのレビューを表示する

フィードバックのお願い

攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック

読者投稿欄

いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する

トップへ
戻る