名古屋市緑区有松町には「桶狭間の戦い」の推定値のひとつ、桶狭間古戦場公園があります。
桶狭間古戦場公園
この公園は、来園される方々に、桶狭間の戦いについて理解を深めていただけるように、整備されています。
- 公園南側の区域について、戦い当時の城、砦などをジオラマ風に整備しています。
- 戦いに至る各軍の進軍ルートを石板により明示しています。
ジオラマ解説板を参考に、園路を歩いて、戦い当時の様子に思いをめぐらしていただければと思います。
なお、公園の計画づくりについては「桶狭間古戦場保存会」の協力をいただいています。
名古屋市
公園内には織田信長と今川義元の像があります。
ほかにも今川義元が戦死した場所を示す石碑がいくつかあります。
「義元公首洗いの泉」
織田軍に攻められ討ち死にした今川義元公の首級(しるし)をこの泉で洗い清めたと言われています。昭和六十一年(一九八六)の区画整理まで清水が豊富に湧き出ていました。
ここは近崎道(ちかさきみち)と三河道(みかわみち)との合流点で鳴海方面に通じる要所でした。湧き出る水の勢いで水汲み用の桶がくるくる廻っている様子に興味を誘われた旅人が、桶が廻る間の一服とて「桶廻間(おけはざま)」と呼ぶようになったとの言い伝えもあります。江戸時代の文書の殆どは「桶廻間」でしたが、明治十年(一八七七)の郡町村制の制定以降、現在の「桶狭間」となりました。 文 桶狭間古戦場保存会
桶狭間古戦場跡
永禄三年(一五六〇)五月十九日、織田信長二七歳のとき、わずか三千余の手勢を率いて折からの風雨に乗じ、二万五千余の今川勢の本陣を急襲し、義元を倒した。
信長が天下統一の第一歩を踏み出した、有名な桶狭間の戦いの主戦場はこの附近一帯である。 名古屋市教育委員会
桶狭間古戦場公園の観光情報
住所 | 名古屋市緑区有松町桶狭間北3 |
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