鯱の門(しゃちのもん)は佐賀城に残る遺構のひとつで、国の重要文化財にも指定されています。
屋根の両端に青銅製の鯱が載っていることから「鯱の門」と呼ばれています。
城内から見るとこんな感じです。
門の扉には、1874年(明治7年)に起きた佐賀戦争での銃弾跡が無数に残っているので近づいて見てみてください。
重要文化財 佐賀城鯱の門及び続櫓
昭和32年6月8日指定本丸御殿は慶長13年(1608)から慶長16年までの佐賀城総普請により造られましたが、享保11年(1726)の大火で焼失しました。その後、約110年間は再建されることなく、藩政は二の丸を中心として行われていました。
ところが、この二の丸も天保6年(1835)に火災に見舞われ、藩政の中核を失ってしまいました。10代藩主鍋島直正は、それまで分散されていた役所を集め、行政機能を併せもつ本丸御殿の再建に着手しました。
この鯱の門は、その時、本丸の門として建設されたもので、天保9年(1838)の6月に完成したものです。
明治7年(1874)の佐賀の役で、佐賀城は戦火に見舞われました。鯱の門にはその時の弾痕が残り、当時の戦闘の激しさがしのばれます。
門の構造は、二重二階の櫓門に、一重二階の続櫓を組み合わせたものです。屋根は本瓦葺、入母屋造りで、大棟の南北には、佐賀藩の御用鋳物師谷口清左衛門の手による鯱がおかれ、鍋島氏36万石にふさわしい規模・格式を有しています。