小諸城三の門は江戸時代から残る遺構のひとつで、国の重要文化財に指定されています。
ただし築城当時に建てられた門は1742年(寛保2年)に起きた大洪水で倒壊、流出してしまい、現在の門はその後に再建されたものです。
懐古園の入口になっています。
この門に掲げられた扁額は徳川宗家16代当主・徳川家達の筆によるものです。
門の内側(城内側)です。
門の外側に石碑と案内板があります。
重要文化財 小諸城三の門
(平成5年12月9日国指定)小諸城は慶長元和年間(関ヶ原役前後)にわたって時の城主仙石氏が築城しました。三の門も大手門と同様に一連の造営の中で創建されたものです。しかし寛保二年(一七四二)小諸御城下を襲った大洪水により三の門は流失し約二十年後の明和年代に再建されて現在に至っています。
寄棟造(よせむねづくり)、桟瓦葺(さんがわらぶき)の櫓門で、
一階は桁行三間(一間は約一、八メートル)、北脇に潜戸(くぐりど)を構え、隅金具、八双金具等が施してあります。
二階は西側に袖塀を設け
矢狭間(やざま)、鉄砲狭間(てっぽうざま)が城郭の面影を残しています。
桁行五間、梁間二間で内部は住宅風の一室になっています。
大手門とともに小諸城の貴重な建造物として国の重要文化財指定を受けています。文化庁
小諸市教育委員会
宗教法人 懐古神社