懐古園の入口近く(線路をまたいだ道路脇)に幕末の名君とうたわれた牧野康哉を讃えた石碑が立てられています。
牧野公遺徳碑
小諸藩主牧野遠江守康哉(やすとし)公は、笠間藩(茨城県)主牧野貞幹の次男に生まれ、天保三年小諸藩九代藩主を養子相続する。以来江戸末期の小諸藩政の充実を図り、三十一年間に亘り領民に善政を施し、幕末絶世の名君と讃えられた。
その治績を挙げると種痘法の創始、養老育児法の実施、殖産興業・治水開発の奨励、学問・洋式兵法の採用等多くの実績を残した。また幕政に参与しては御奏者番、若年寄を拝命して幕末の大局に手腕を示したが、文久三年四十六才で逝く。後世、康哉公の人徳善政を讃えるために、ここに讃徳碑を建て永久に語り継いでいくものである。