小諸城の大手門は駅の北側(懐古園の反対側)にあります。
1612年(慶長17年)、仙石秀久が小諸城を築いた時代の建築で、江戸から大工を招いて建てました。
当時としては瓦葺の門は珍しかったので瓦門と呼ばれたとも伝えられています。
立派な櫓門です。
休日・祝日は中を見学することができます。
中は資料が展示されています。
この櫓門は明治維新後は民間に払い下げられたあと、料亭「大手館」として使われていたそうです。
門の部分に中二階や間仕切り壁などの造作がなされていた、当時の写真も展示されていました。
その後、小諸義塾の教室として1896年(明治29年)4月、西洋造りの塾舎ができるまで仮塾舎として使われました。
1993年(平成5年)12月9日に国の重要文化財に指定され、2008年(平成20年)3月に保存修理が完了し、当時の姿に復原されました。
こちらが城内側です。ここから三の門を通って二の丸に入っていくように設計されていました。
案内板は城内側と、場外側にひとつずつ立てられています。
日本城郭建築初期の代表格小諸城 大手門(国指定重要文化財)
小諸城の正門(四之門)。慶長十七年(一六一二)、藩主仙石秀久が小諸城を築いた時代の建築。
二層入母屋造の楼門で、石垣と門が一体化していない事や、一階が敵の侵入を防ぐ強固な造りに対し、二階は居館形式をとっている事など多くの特徴があります。
この門を建てる際に、大工は江戸から呼び、瓦は三河(現在の愛知県)から運んだとされ、当時はまだ瓦葺の屋根が珍しかったため「瓦門」とも呼ばれました。
明治維新後は民有となり、小諸義塾の仮教室として、また、料亭として利用されてきましたが、平成二十年、江戸時代の姿に復原されました。
この実戦的で、華美な装飾をはぶいた質実剛健な建築は、青森県の弘前城とともに大手門の双璧といわれています。小諸市
こちらが城内側の案内板です。
重要文化財小諸城大手門
(平成五年十二月九日指定)
大手門またの名を瓦門といい、小諸城主仙石秀久が築造した正門である。
現存の門は慶長十七年(一六一二)の建立と言われています。
五間の櫓(やぐら)門、入母屋造の本瓦葺で北面しており、一階は桁行五間、梁間二間とし正面中央間の鏡柱等太い柱を用いるなど豪壮な構えとなっている。
二階は桁行七間、梁間三間垂木には反り増しがある。東西二室で畳敷とし座敷のようになっている。入口は東側中央間とし板縁を設けてある。
近世初頭の大型の城門として日本の城門発展の過程を知るうえに価値が高く重要な建物であります。小諸市