彦根城の天守です。現存天守のひとつであり、国宝にも指定されています。
天守は3階3重と規模としてはかなり小ぶりですが、屋根には「切妻破風(きりづまはふ)」「入母屋破風(いりおもやはふ)」「唐破風(からはふ)」といったさまざまな破風を配しています。
また、2階と3階には「花頭窓(かとうまど)」、3階には「廻縁(まわりえん)」を巡らせるなど、非常に優雅な外観をしています。
瓦は34種類、6万枚が使われています。
また、1957年(昭和32年)に行われた彦根城天守解体修理の際に調査した結果、もともと4重5階の天守を移築したものであることがわかりました。
彦根藩主井伊家の歴史を記した『井伊年譜』によれば、「天守は京極家の大津城の殿守也」とあり、大津城の天守を移築した可能性が考えられています。
天守には多聞櫓から入ります。
内部はこんな感じになっています。
ちなみに彦根城は明治時代に解体寸前だったそうです。
明治維新後、全国に廃城令が出され彦根城も解体が進んだのですが、1878年(明治11年)10月に明治天皇の北陸巡幸に同行していた大隈重信が彦根城に立ち寄り、天皇に保存を願い出たそうです。
現在の本丸には天守しか残っていませんが、かつては藩主の居館である「御広間(おんひろま)」や「宝蔵」、そして「着見櫓(つきみやぐら)」なども建っていました。
本丸跡
天守の前には、御広間(おんひろま)や宝蔵(ほうぞう)・矢櫓・着見櫓(つきみやぐら)などが築かれていたが、天守以外の建物は明治になって取り壊された。
御広間は、東西に長く南北約12m(6間)に東西約30m(15間)で、台所と局(つぼね)が付設されており、表御殿が山麓に営まれるまでの江戸時代初期は藩主の居館となっていた。The "Buildings of the Main Tower Area" Sites
There were Ohiroma-hall, Hozo-libraries, Yagura-turrets, Tsukimi Yagura-turret and so on around the Tenshu-main tower. With the exception of the main tower, these buildings were demolished at the beginning of the 1870s.
The ohiroma-hall was the long east-west building, which was about 12 meters from the south to the north and about 30 meters from the east to the west. It had a kitchen and housed the ladies-in-waiting of the inner chambers. Originally, it was the living quarters of the lord until the gobernment buildings were relocated at the foot of the mountain early Edo period.
京橋口から出て、中濠東西通りから見る天守もなかなか見事です。
彦根城はいろんな角度から天守が望めるのでいいですよ。
夕暮れ時の天守も美しいですね。
季節や天候、時間帯に応じて、天守のいろんな表情が見れるのもお城巡りのいいところですよね。