彦根城
彦根城

[滋賀県][近江] 滋賀県彦根市金亀町1-1


  • 平均評価:★★★★☆ 4.21(5位)
  • 見学時間:1時間52分(4位)
  • 攻城人数:4992(2位)

彦根駅前の井伊直政公像

JR彦根駅の駅前ロータリーにはこのような井伊直政像があります。



(改札は2階なのですが)1階に降りてすぐ目の前に見えます。



井伊直政公像
 永禄四年(1561年)現在の静岡県井伊谷に生まれ、幼少の頃から文武両道に励み、慶長五年(1600年)に徳川四天王の一人として天下分け目の合戦で知られる関ケ原の戦で功をあげ、石田三成の居城であった佐和山城を与えられ、十八万石の大名となった。
 その後、城を現在地の彦根山へ移そうとしたが、同七年(1602年)四十一歳で病没し、子らが直政の遺志を受け継ぎ二十年の歳月を費やし元和八年(1622年)彦根城を完成させた。
 こうして、彦根三十五万石初代藩主井伊直政公は、今日の彦根市発展の礎を築いたのである。

他の角度から撮った写真もどうぞ。



クルマで攻める場合も、駅前には寄ってくださいね。

   

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八本目の槍

豊臣秀吉と柴田勝家の雌雄を決した賤ヶ岳の戦い。この戦いで活躍した、賤ヶ岳七本槍のメンバーのその後の人生と、八本目の槍、石田三成との人間模様を描いた物語です。
福島正則、脇坂安治、片桐且元、平野長泰、加藤清正、糟屋武則、加藤嘉明、7人のひとりひりの小姓時代の呼び名で物語が構成されてます。

それぞれが違う生い立ちの中、豊臣秀吉の小姓として見出され、天下分けめの関ヶ原の戦いで、東軍についたもの、負けるとわかっていても西軍についたもの、その後の世の中の流れを見据えた石田三成が、それぞれ7人に思いを寄せ、奔走した様が描かれており、石田三成の戦旗に記された意味が読み取れます。

本の帯にある通り、この小説を読み終えた時、その男石田三成を、大好きになりました。

デュラけんさん)

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