彦根城
彦根城

[滋賀県][近江] 滋賀県彦根市金亀町1-1


  • 平均評価:★★★★☆ 4.15(6位)
  • 見学時間:1時間48分(5位)
  • 攻城人数:6141(2位)

西の丸三重櫓

西の丸三重櫓は本丸に隣接する西の丸の西北隅に位置しており、国の重要文化財に指定されています。

東側と北側にそれぞれ1階の続櫓をくの字に付設しています。

搦手にあたる黒門から入ると西の丸を通って天守に向かうわけですが、この方面からの敵への備えとして建てられました。
さらに西に張り出した出曲輪(でぐるわ)との間に設けられた深い堀切(尾根を切断して造られた空堀)に面して築かれているため、高い防御力を備えた櫓です。

この三重櫓は浅井長政の居城であった小谷城の天守を移築したものと伝えられていましたが、1960年(昭和35年)から1962年(昭和37年)に行われた解体修理では、そうした痕跡は確認されなかったため、現在では否定されています。

なお、彦根藩主井伊家の歴史をつづった『井伊年譜』を見ると、築城当初、西の丸三重櫓は家老の木俣土佐(木俣土佐守守勝)に預けられていたそうです。当時、山崎曲輪に屋敷を与えられていた木俣土佐は、毎月20日ほどこの櫓に出務するのを常としたようです。

   

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今日のレビュー

図説 近世城郭の作事 櫓・城門編

三浦先生が書かれた「近世城郭の作事 天守編」に続き、今回は「櫓・城門・土塀」編を読みました。特に、城門、土塀については書いてあることのほとんどが初めて知る事でした。城門の種類ですが、薬医門は安土桃山時代だけで、高麗門は文禄・慶長の役で朝鮮半島での築城時に発明され、構造は薬医門と変わりませんが屋根が小さいので防戦上で有利、屋根が小さいので用材が少なくて済むなど、関ヶ原の戦い後、薬医門から進化した高麗門に取って代わられたそうで、現在城跡に残っているのは圧倒的に高麗門で、医薬門は少ないとの事です。また、関ヶ原以前の櫓門では石落がないので、櫓門の石落は関ヶ原以降の発明と考えられるとの事を初めて知ります。土塀についても、付壁塀、築壁塀など色々な種類があるそうで、天守、櫓以外に城門、土塀にも注目することにより、新たなお城巡りの楽しみを再発見させてもらえた一冊だと思います。

まーちゃんさん)

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