西の丸三重櫓は本丸に隣接する西の丸の西北隅に位置しており、国の重要文化財に指定されています。
東側と北側にそれぞれ1階の続櫓をくの字に付設しています。
搦手にあたる黒門から入ると西の丸を通って天守に向かうわけですが、この方面からの敵への備えとして建てられました。
さらに西に張り出した出曲輪(でぐるわ)との間に設けられた深い堀切(尾根を切断して造られた空堀)に面して築かれているため、高い防御力を備えた櫓です。
この三重櫓は浅井長政の居城であった小谷城の天守を移築したものと伝えられていましたが、1960年(昭和35年)から1962年(昭和37年)に行われた解体修理では、そうした痕跡は確認されなかったため、現在では否定されています。
なお、彦根藩主井伊家の歴史をつづった『井伊年譜』を見ると、築城当初、西の丸三重櫓は家老の木俣土佐(木俣土佐守守勝)に預けられていたそうです。当時、山崎曲輪に屋敷を与えられていた木俣土佐は、毎月20日ほどこの櫓に出務するのを常としたようです。