読者投稿欄

「攻城団」では不定期にさまざまなお題で読者(団員)からの投稿を募集しています。少し時間のかかるお題もあるかと思いますが、みなさんの率直なご意見をお送りください。

今回のお題

攻城団編集部 攻城団編集部さんの質問

「大坂の陣」にもし参陣するなら、徳川方と豊臣方どっちがいいですか?

その理由もあわせて教えてください

みんなの回答一覧

25人の団員から回答が寄せられました。ありがとうございます!

徳川方。
とことん追い詰めていく感じがいい。
真田丸には近づきたくないが。

大坂方です。頑張って手柄を立てて勝てれば一発逆転出世できるかも知れないし、もし負けても名を残すことができるからです。

伝もものふ山田(ヤマー)
伝もものふ山田(ヤマー)さん

【徳川方】
徳川方について、初代尾張藩主の徳川義直の初陣を見届けたいです。若干15歳にしての初陣、そして最後の出陣でもありました。この経験は、その後の尾張徳川家の発展にもつながっていると思います。
名古屋城の西之丸には天然記念物の「カヤの木」があり、徳川義直が初陣の際にその実を食して必勝祈願したとされています。写真は企画展で展示されていた「カヤの実」です。

利信
利信さん

さてさて当方、加賀藩士の末裔としましては一族郎党として徳川方前田軍に参陣となります。
真田丸にボッコボコにされそうですが、何とか生き残れそうな我が家。
現代の親戚筋が仙台藩にいるので、陣借りもいいかもしれません。

あぶさん
あぶさんさん

好きなのは大坂方です。真田信繁を筆頭に、明石掃部に毛利勝永、後藤基次、木村重成と戦国最後の戦いにおいて名を残した武将それぞれが魅力的なため、大坂贔屓になったと言っても過言ではないと思います。ただ自分が一介の牢人だった場合、どちらに参陣するかとなると、冬の陣は年越しの金目当てにまだまだワンチャン狙える大坂方、夏の陣は丸裸の大坂城では勝ち目はないと、戦後の牢人狩りを恐れて遠くに逃げてる?と思います。(冬の陣で配下になった武将の人物像に触れ、最期まで共にするかもしれません)写真は彦根市宗安寺の木村重成公の首塚です。

まーちゃん
まーちゃんさん

押しの武将が特にいない私としては難しいお題です。
取りあえず江戸に住んでいるので、徳川方になるでしょうか。
それに徳川家康が勝利して、泰平の江戸時代がなければ今の我々の生活もなかったような気がします。
簡単ですいません。

mightybooska
mightybooskaさん

やっと「秋分」らしい朝晩となりました。
ブースカです。

関西人(ミャクミャク&タイガースファン)なので、
損得・生き死にに関係なく気持ちは「豊臣方」一択です。
日の本一の兵と謳われた幸村(左衛門佐信繁)の気概にもあっぱれなので!!

写真はこのほど完成・公開された大坂城「豊臣石垣館」の
徳川幕府によって埋められてしまった「豊臣大坂城」の石垣です。
落涙…

ぐこ
ぐこさん

大坂の陣は、言ってしまえば、全国の大名VS(豊臣+牢人)だと思うので、豊臣方には勝ち目がなさすぎて、徳川に参陣せざるを得ないですね。

その中でも豊臣方に参戦した真田信繁らは戦略を練りに練って、一発逆転の家康や秀忠の首狙いをするしかなかったんでしょうね。
豊臣大坂城がモッタイナイ‥

ねこち丸
ねこち丸さん

真田丸に憧れるのと、寄せ集めっぽい感じが好きで、仲間になるなら豊臣方と思いましたが。
秀吉が嫌いすぎるので、徳川方にします。
井伊直政に必死でついて行って、身代わりに狙撃されたいくらいだけど、おそらく追いつけなくて無理。
写真は彦根駅前の直政公❤️

おしりすと
おしりすとさん

負けたくはないので、それは当然徳川方でしょう…と言いたいところですが、できることなら真田騎馬隊の一員になって、信繁のそば近くで戦ってみたいです。

もとき
もときさん

関ヶ原で西軍として戦い、領地や主君を失って10余年。浪人のあなたは豊臣の誘いに乗って大坂城に集いますか?
前田や伊達、豊臣恩顧の大名はもちろん、毛利や上杉も徳川についたけど、憎っくき家康に一矢報いるのが武士の本懐と思うのなら今こそ立ち上がる時…ですが、自問自答した結果、徳川方です。
(写真は真田丸跡地に鎮座する三光神社)

ハチロク
ハチロクさん

徳川方ですね。
豊臣方はトップに淀君がいるわけで、戦評定で決定した事も簡単にひっくり返しそう。俗に言う女の浅知恵ってヤツで命を掛けて戦うにはなんとも心細い。命を掛けて戦うのであれば戦巧者の元で戦いたいと思うのは自分だけかな。

猫セブン
猫セブンさん

大坂の陣への参陣ですか⋯もし自分が豊臣恩顧の武将の立場であったとしても、徳川方ですね。関ヶ原合戦の時点ならまだしも、大坂の陣の時点では個人的に豊臣方には勝ち目はなかったと思っています。秀頼、淀殿が関ヶ原合戦後に家康に服従し一大名になるのをよしとしなかった時点で豊臣家の存続は厳しくなったと思います。我が家が大事です。

とらのすけ
とらのすけさん

豊臣方。ベタですが真田丸で戦いたい。
または、自分は女性なので、茶々様の侍女に転生して(笑)大坂城で籠城。落城寸前に脱出して、浅井家の菩提寺に転がり込み出家。茶々様の本当の人柄等を書き残し、後世に伝える。茶々様って言われているほど悪い人だとは思っていないので…真実を知りたいです。あれ?質問からズレてしまいました、すみません。

狸親父
狸親父さん

ノータイムで徳川方のボタンを押しました。勝敗の行方が分からなかった関ケ原とは異なり、大坂の陣は戦う前から勝敗は明らかですからね。よしんば、真田信繁が家康を討ち取って、大坂方が一時的勝利を納めたとしても、すんなりと秀頼中心の政権ができるとは思えません。折角、秀吉が日本を統一し、家康の江戸幕府が機能し始めたのに、結局、戦国の時代に戻るだけです。個人的には、豊臣家は徳川幕府の一大名として生きる道を選択すべきだったと思います。秀吉も実質上、主君の織田家から政権を奪取したのだから、秀頼も大きなことは言えないと思います。大名になっても改易されたという向きもありますが、小田原の北条氏は、家康の進言で秀吉から家名は残して貰ったということなので、豊臣の家名も残ったと思います(石高は5万石程度かもしれませんが)。

とらねこ
とらねこさん

豊臣方につきます。
私自身が大坂城から北西約5kmの地に生まれた大阪人だからということと、関ヶ原の戦いに遡り西軍びいきなのが理由です。真田丸で幸村らと東軍を迎え討ちたいですね。
しかし徳川家は諸大名が名を連ねる正規軍、一方で豊臣家は関ヶ原で敗北した傭兵の寄せ集め。兵数も倍以上と戦う前から結果は見えておりますが・・・。

みどりん
みどりんさん

もし、歴史どおりの結果になるのならば勝ち馬に乗り、徳川方に付くのですが、歴史を変えられるという前提ならば、豊臣方に付き、堀を絶対埋めてはならぬと淀殿を説得し、秀吉の建てた大坂城万全の状態で夏の陣を戦いたいです。(強固な大坂城をあと2年守り抜けば、家康は死んでしまうのだから········)

写真添付の大阪城は徳川のものなので、あの地下の石垣の写真が撮れたら良かったのになぁ·······

びあまぐ
びあまぐさん

徳川方です。
本城が江戸城なもので。

さと
さとさん

さとです。
実は、昔映画真田十勇士の足軽役でエキストラとして、参加しました。丸2日参加し、何れも東軍前田利常軍として、大阪冬の陣、夏の陣に参加。ホンマの戦に参加出来たとゾクゾクした覚えがあります。でどちらの軍が良いかですが、幸村ファンには申し訳ないですが、断然徳川方です。映画のシーンでも真田一人の武者に10人の徳川方で取り囲むという、一方的な状況で、絶望しか頭に浮かびませんでした。徳川方ならば冷静に戦況を分析出来る徳川方が良いです。
写真は真田の出丸があったとされる心眼寺です。

BUG
BUGさん

勿論、即決で徳川方です!
やはり、負ける側につくのはリスクしか無いので😅

ただ、関ヶ原など他の戦でも言える事だと思いますが、勝てる側についたからと言っても討死したりする可能性もあって必ずしも生きて帰れる訳でないので、そこは運なんですけどねw

でも、生きて帰れた時、勝った側についていたら恩賞や処遇は確実に良くなるでしょうし、やはり豊臣方につくのはリスキーでしか無い気がします。。😂

麒麟
麒麟さん

豊臣方に参陣します。

豊臣方の武将の真田信繁は自分の好きな武将の一人です。好感で選択しました。

ちゃんくま
ちゃんくまさん

迷うことなく豊臣方です!(幸村方)そもそも池波正太郎の「真田太平記」から歴史に興味を持ち真田一族の活躍の軌跡をたどるところから攻城団にも入団しました。兄、信之は徳川方にはついたがそれもどちらが勝っても真田の家は残ると言う英断の結果のこと。かつて上田城において2度徳川軍を撃破した真田一族。父昌幸の悲願の元、配流の九度山から大阪城へ入城した幸村(信繁)の真田丸での攻防やあと一歩の所まで家康を追い詰めたが最期は無念の討死。秀頼、淀殿、大野治長らに軍略を阻まれつつも奮闘する幸村、大助親子の潔さになんとしても応援したい。

*写真は大阪城に展示の「大阪夏の陣図屏風」(右隻中央)大阪城一番乗りの松平忠直隊を迎え撃つ幸村隊。夏の陣のクライマックスシーン。2012年11月撮影

のぶお
のぶおさん

真田幸村の真田丸の強さ見てみたいので、豊臣方かな

豊島介
豊島介さん

すごくつまらない答えですけど、状況次第ですね。
自分に守るべき所領や家族・家臣団がいて、現状にものすごい不満を抱いている訳でないなら徳川でしょうし、もはや守るものもなく、後世に名を残すことが人生の目的になっていれば、豊臣方で暴れることを目指すのかもしれない。
もし自分が豊臣or徳川に強い縁のある人間なら、2つ目の軸としてそれも考慮に入れるかもしれない。

断定的な結論は言えませんが、ただ一つ、情勢や自分の状況を正しく把握して、そのときの自分にとって最も適切な結論を出せるような自分でいたいですね。

のり
のりさん

大坂の陣に至るまでの自分の立ち位置によると思いますので、かなり悩みましたが、(当時の大名たちも相当悩んだと思います。)純粋に城を攻める側、守る側で考えた時に、大坂の陣ですので、徳川方が城を攻める側、豊臣方が城を守る側になると思います。
私個人としては戦略などで頭を使う攻城戦をやってみたいですので、徳川方に参陣して、難攻不落の大坂城を攻めてみたいと思いました。
写真はドーンセンターにある豊臣時代の大坂城の石垣です。

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大名格差~江戸三百藩のリアル~

江戸時代の大名について詳しく知りたいと思っていた時に目に止まり、読んでみることにしました。江戸時代大小併せて260~300藩有ったと言われていますが、本書では大名の格差をテーマとして石高、将軍との関係、江戸城、江戸藩邸、参勤交代の5つに分けてエピソードを交えて書かれています。石高の大小による格差をはじめとして、将軍家から嫁をもらったり、養子をもらったした大名の家格が上げられたり、その家格によって江戸城内での将軍との拝謁の仕方や服装が違ったり、江戸藩邸では門構えや屋敷の広さに差が見られたり、最後に参勤交代の道中でかち合いそうになった場合とか宿場が同じになりそうになった場合にその大名の格差が顕著に表れる事を細かいところまで知ることが出来ました。その当時の大名たちは自分の家格を十分に認識した上で行動し、少しでもその家格を上げることを日々考えていることがよく理解できる一冊でした。

まーちゃんさん)

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