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やはり「色男殿」大久保忠世です。
尾張蟹江城攻めや三河一向一揆や三方ヶ原の戦いに参陣し多くの武功を挙げ長篠の戦いおり二俣城を与えたところとか、本能寺の変後には家康が甲斐・信濃に侵攻する際に、忠世は信州惣奉行として依田康国の監視も含めて小諸城に在番し職務を務めるというところとかが、彼の政治手腕のものすごい高さと考えられました。最終的には関東転封で小田原城4万5千石を与えられた経歴を持つまさに戦国一の色男殿!
後の江戸幕府の中枢となる本多正信も、一向一揆方についたため戦後出奔しますが、忠世の取り成しをうけ徳川方へ帰参させた事を考えると、大局を見据えた慧眼の持ち主であり判断力の優れた頭の切れる武将と考えられます。
のちに蟹江七本槍、徳川十六神将の1人に数えられるという武力や政治手腕は現代でもとてつもない辣腕経営者として活躍が出来そうな気がします!!
画像は忠世の最後の城、小田原城です!
締切後に編集されました井伊直政でしょうか。後から徳川家臣団に加わり、古参の家臣から妬みやっかみがあったと思いますが、耐え忍んで頭角を現すことが出来た事は尊敬に値すると思います。
武田軍の小杉左近に「家康に過ぎたるものは二つあり、唐(から)の頭(かしら)に本多平八」と言わせ、生涯で57回の戦いに参戦、一度も傷を負わなかったと言われる戦略家の本田忠勝。
また、小牧・長久手の戦いでは、秀吉が恐れた知略家の本田忠勝に興味があります。
石川数正でしょうか。大河ドラマでは徳川家の宰相のような立ち位置ですが、その後に描かれるであろう史実ではのちに秀吉に出奔します。
なぜ出奔したかは未だハッキリと解明されておらず、さまざまな説が唱えられています。大河ドラマではどの説が採用されてどのように描かれるのか、見どころの一つになりますね。
大河ドラマの影響で徳川四天王、特に本多忠勝に非常に興味が湧いています。
生涯57度の合戦に参加しながら擦り傷一つ負わなかったなど逸話は多い人物ですがどうしても家康とセットで語られることが多く断片的にしか生涯を知らないので世の中が家康ブームで沸いているうちに他の四天王と一緒に小説や研究書などを探して読んでみたいと思っています。
ずいぶん迷いましたが、やっぱりイチ押しの板垣李光人くんが演じている井伊直政!
「おんな城主直虎」わりと好きだったので、井伊谷にも行きました。ラストシーンのように、その後の直政の活躍を見てみたいです。(あの時は、菅田将暉さん)
また、自分は上州人なので…井伊様と言えば、箕輪城を改修した後、数年後には街とお城を和田の地に移し、名前も縁起の良い高崎に改め、今日の高崎の街の基礎を作った方です。「どうする家康」での活躍も期待しています!
本多平八郎忠勝です。
桑名城にある銅像を見ましたが鹿角の兜は迫力で、戦場で相対すると縮み上がりますね。写真は桑名城の像ですが蜻蛉切が長くて肝心の槍先が写っていません。
勇猛果敢なエピソードしかなく、大河ドラマでも活躍を期待しています。
余談ですが、楽天グループの三木谷浩史会長兼社長がご子孫だそうです。(ウィキペディアより)
【本多忠勝】
歴史に興味を持ちはじめた頃に、いちばん気になった徳川家臣です。天下三名槍の蜻蛉切をあやつり、合戦ではかすり傷すら負わなかったエピソードには驚きました。個人的には、大河ドラマ「真田丸」の豪快な本多忠勝のイメージが思い浮かびます。
写真は岡崎城でいただいた「本多忠勝パフェ」です。
夏目広次。甲本雅裕さんの武骨な演技に魅了され、今とても気になってます。
好きな家臣というお題でしたら、四天王、本多正信、鳥居元忠のいずれかでしたが、今回のお題では、妻夫木聡主演大河の天地人に描かれていましたが、本多正信の次男の本多正重です。徳川家の家臣時代は短いですが、一番初めの養子先では秀忠の乳母の息子を切って出奔したり、前田家の家臣になったり、また別の家の養子になって宇喜田家の家臣になり、関ヶ原の戦いは宇喜田家中として西軍として戦い、その後は直江兼続の養子になって、その後直江家家臣を連れて前田家の家臣に出戻って、最終的には加賀藩の5万石の筆頭家老になり、子孫も現代に続いているという何とも波乱の人生を歩んでおり、使えない人間だったら養子先も仕官先も見つからないと思うので実際はどんな人物だったのか興味があります。
石川数正ですね。「どうする家康」を見ていると、家臣団のブレーンとしてなくてはならない人物のように思えるのですが、そんな人がどのような経緯で豊臣方に走ったのか、とても興味があります。「純粋に裏切った説」、「家康のスパイとして裏切ったように見せかけた説」なんていうのもあるほど、その行動には謎が残ります。そして、大好きな松本城の築城に着手した人物としても興味はつきません。
本多忠勝
「板倉勝重」
この家臣が京都で各方面に睨みを利かせ、主家のためには何が必要で何を為すべきかを深く考え行動し活躍した三河武士の一人であるから
こんな人に憧れます
やはり一筆啓上の鬼作佐こと本多重次でしょうか。
面倒臭い三河武士団の代表格でありながら、意外に気遣いの人でもあります。こんなに秀吉を怒らせてる人も珍しい。後年は不遇な扱いでしたが、お仙が
丸岡藩主となることで少しは報われたのかなと思います。
石川数正です。『どうする家康』的に。
長年苦楽を共にしてきたのに、数正はライバル秀吉のもとに出奔します。家康を支え続けた功労者ですから、徳川家を守るためであればドラマティックですが…
番組最後の紀行コーナーでは松本城が登場するのかな。
今の大河ドラマを観ていると、筆頭家老でありながら自らエビすくいを披露する、酒井左衛門尉忠次さんが、どうしても気になります(^^)今の時代なら歌える?一流ビジネスマンさんもおられそうですが、時代は戦国だし‥
戦歴も魅力的です。デビュー戦、福谷城で織田軍柴田勝家を撃破・負傷させています(やるなぁ)
長篠設楽原合戦の鳶ヶ巣山砦奇襲。先日奇襲隊ルートを歩いてきましたが、思いの外に策も綿密だった事を知ったし、大軍の奇襲を統率・成功させるのはすごいな〜、臨機応変、冷静だったんだろうな、と感じました。
信康事件での忠次の立ち回りは、やっぱり家康の意を汲んでの事じゃなかったのかな、と私は思います。
写真は奇襲隊ルート中、峠を登るために脱いでいた鎧を再着用した場所と伝わる鎧平です。緊張感ビシビシ。
石川数正
家康の重臣でありながら秀吉の元に走ったその訳は…?
家康の命によるスパイ説等いろいろな説があるがどうなんでしょうね。戦国時代でもっとも興味深い出来事と思います。
大須賀康高です。
あまり知られていない人物ですが、特に武田勢との高天神城の攻防において活躍した人物で、徳川二十将の一人として数えられています。
勇猛な武将だったようで、1579年の高天神城攻防戦では康高と横須賀衆で敵兵の首級57を取り、家康から称賛されたとの逸話があります。
この攻防戦で築かれた城が球石垣で有名な横須賀城であり、大須賀康高が築城した城として知られています(2011/11/26撮影)。
榊原康政です。康政直接の逸話ではなく、後世の話ですが、榊原家八代・政岑は、派手で奇抜な衣装で登城したり、吉原で豪遊を続け、三浦屋の高尾太夫を身請けするという不行跡が八代将軍・吉宗の逆鱗に触れ、切腹お家断絶もあり得たところ「遠祖・康政の功績に免じて」政岑隠居謹慎の上、播磨姫路十五万石から越後高田十五万石への国替で済みました(済んだ…と言っても越後高田の実収は、姫路の半分程しかなかったみたいですが)。死して100年以上経っても、康政の名前に子孫と家を護る力が幕府内にあったという事ですね。
まずは、「家康に過ぎたるもの〜」と言われた本多忠勝公です。晩年は、私の地元に近い、上総の大多喜城の城主にもなっていて、勝手に親近感を持っています。数多くの武功があり、最大の功労者の一人ではないかと思います。演じている年代もあろうかと思いますが、私の勝手なイメージは、真田丸で演じていた藤岡弘、さんです。
もう一人は、井伊直政公です。本多忠勝公は、古くからの家臣で絆のようなものが家康とあったであろうと思いますが、直政公、能力を買われて、戦功を上げ、登り詰めたイメージです。部下に厳しく接していたと言われていて、家臣から恐れられていたと言われているようです。
もう一人は、今回は、本多正純公です。三河一向一揆の際には一度は離反していますが、その後、知力で家康を支えたイメージです。
本多忠勝です。
それは、たった一人ででも、家康公の為、最強の武田軍に立ち向かうからです。どうする家康で、本多忠勝を演じているのが、自分が好きな、山田裕貴なので、余計に好きになりました。
私は、徳川四天王の井伊直政です。家康が幕府を開くにあたっての一番の功労者と思います。直政は外様でありながら、徳川家臣団の中で随一で、12万石箕輪城に入りそれから高崎城の城主になりました。上野国出身としては興味があります。42才亡くなってしまい残念ですが、イケメンであることと、井伊の赤備えとカッコイイです。
結城秀康さんです!
理由は、最近 梓澤要さんの『越前宰相秀康』を読んだから、です。
本多忠勝
生涯にわたって一度も負けたことがなかったという逸話からも、信念の漢だったんだなという印象はありましたが、いかんせん暑苦しいオッサン感は拭えませんでした。しかし今期の大河で山田裕貴さんが忠勝を演じていて、イメージが一新されました。やはりイケメンは正義…
石川数正です。
なぜ家康の元から出奔したのか、判然としないことに想像力をかきたてられます。
家康との合意の下寝返ったなんて異説もあって、本当にミステリアス!
大河ドラマ「どうする家康」ではどのように描かれるのか非常に楽しみです♪
本多正信ですね。どうする家康で三河から出奔したあと、どうように家康の懐刀になるのかも楽しみ
鬼作佐こと、本多作左衛門重次です。
一筆啓上など逸話が多く魅力的な人物像のイメージなので。
今年の大河に出てこないかと楽しみにしていましたが、出てくる気配がなく…。
今回は出てこないのでしょうか。諦めずに見守りたいと思います。
おんな城主直虎で興味が湧いた井伊直政!一番近所のお城にいたとは知りませんでしたので、それから俄然お城に興味が湧きました。近所の山の中を走っていたら屋敷跡の看板が土塁に張り付いていてびっくりしたこともあります。
鳥居元忠です。
彼の子孫関係にある方に,現在とてもお世話になっています。そのお人柄を見ているようです。現在放送中の「どうする家康」でも,好きな俳優さんの一人である音尾さんがいい演技をされていて,悲しい結末を予感しながらも楽しみに拝見しています。
本多忠勝:千葉県の大多喜城近辺で「本多忠勝を大河に!」という内容でのぼり旗がたくさん掲げられていて、地元の意気込みを感じたから。
永井直勝公ですね。
あまり有名ではないですが、小牧長久手の戦いで、豊臣方の池田恒興公を討ち取り、徳川家康公に絶賛されるも5000石で大名になれず、優秀ゆえに豊臣秀吉公からも豊臣姓を下賜され、その後、池田輝政公が徳川家康公に「父を討ち取った、永井公はどうされていますか。」と尋ねると旗本のままと聞き、「父の価値は、5000石程度か」と嘆いたのは、あまりにも有名です。
その後、数々の戦功などを重ね、最終的には、下総古河藩7万2000石の大名となりました。
なお、子孫に永井荷風、三島由紀夫、野村萬斎がいらっしゃいます。
本多忠勝公でございます。iconですし。