みんなの回答一覧
津軽為信の妻・戌姫[阿保良(おうら)]です。
津軽為信の養父である大浦為則の娘なので婿養子をとった形ですが、同い年の為信とは子供の頃から机を並べて学問に励むうちに恋愛関係になったそうで、実際には幼馴染とか学校のクラスメートと結婚した感じだと思います。
夫婦仲はよかったとのことで、為信の留守中には守備兵のために食事を振舞ったり、飢饉の際には領民に食糧や薬を配ったり、子を設けることはなかったものの側室の子の面倒をよく見たりといった話が伝わっています。どことなく北政所様(ねね様)的な感じの方でしょうか。
また為信はつねに戌姫と相談しながら政を行ったそうなので、為信にとって戌姫は妻であると同時に親友・盟友でもあったようです。
高台院(おね)さまです。以前 高台寺で頂いた栞を大事にしているのですが、その木像(片膝を立てて座る胡跪(こき)の姿)は気品があります。好きというより尊敬でしょうか。戦国時代を生き抜き、素晴らしい庭園を遺した自立した女性だと思います。
実は戦国時代の女性といっても有名な人物しか知らなくて、今回「姫君の戦国史」(榎本秋 著)など2冊ほど読みました。家康次女・督姫や養徳院(信長乳母)に興味が湧き、池田家のことを調べていったら親しみが増していくかも。でも今は断トツ高台院です。
締切後に編集されました一番興味深い女性は立花宗茂の妻、立花誾千代です。男子のなかった父の立花道雪に男同然に育てられ、立花城の城主となりました。自身も相当気が強かったそうで、婿養子の立花宗茂がいきなり自分に代わって立花城の城主になることには大反対したそうです。また関ヶ原の戦いの時は、加藤清正の来襲に備えて鎧を着けて柳川城を守備したという話も残されています。
まだまだ取り上げられることの少ない戦国の女性です。知らない事の方が多いので興味は付きません。
帰蝶ちゃん
わたしが卑弥呼以外に初めて認識した歴史上の女性が帰蝶ちゃん、
信長の正室といふ最強ポジションの帰蝶ちゃん、
柴咲コウの帰蝶ちゃん、川口春奈の帰蝶ちゃん
岐阜県のブレンド苺の名前にもなっちゃう帰蝶ちゃん(濃姫)
かわいいです。
【千鳥 「信長の忍び」より】
ファンタジーな回答になってしまいますが、漫画「信長の忍び(重野なおき)」の主人公「千鳥」がいちばん好きです。信長に仕える女忍者で、家臣の中で最強の戦闘能力、信長の勝利の裏には必ず彼女の活躍がありました(という設定)。そして何よりカワユイ♡、天然な所もカワユイ♡♡
歴史に名が残っていないけど、その時代を生きた人たちを思うのは興味深いです。大河ドラマのオリジナルキャラも楽しく見れます。(真田丸の「きり」とか)
●伝承上の女性では大山祇神社の「鶴姫」
伝承通りの女性であればリアル村上海賊の娘みたいでワクワクです。
●実在の女性では「於大の方」
今も昔も、その時代が戦国時代であっても全ての人間は女性から誕生。最後の天下人を(年齢からして)初産でこの世にもたらしめた女性。離縁されても生き別れの実子を案じ連絡を絶やさなかったおっかさん。なんてったって東照神君の生母。この方には興味があります。
お市様ですね。娘の淀殿は三度落城の憂き目に遭いますのでより悲劇ですが、実の兄と婿が争うことになったことがそれを上回る悲劇かと思います。交戦中にどんな思いで三姉妹を育てていたのだろうと想起するだけでも、悲しくなりますね。先日小谷に出向いてそんなことを思い浮かべました。
ちょっと戦国時代よりは前なのですが、気になる女性は日野富子です。
自分の子供を将軍職につけようとたくらんだり、私腹を肥やすことに熱心だったりといった悪女として有名ですが、近年の研究では定説が覆されています。むしろ幕府の安泰を願い、政治資金としての蓄財だったとか。
誤解されて不当に扱われている人は放っておけないたちなので、日野富子へは同情がやまないのです。
決め難いけど、やっぱりおねさん。
頭の回転が速いくて気遣いのできる賢い女性なイメージで、憧れます。
おねさんがいたから秀吉もあれだけの手腕を発揮できたんだろうな…と思ってます。
一豊の妻”千代”
主人に名馬の代金をへそくりから工面したと言われるが?
その証拠もないけれどその精神が日本女性のすばらしさの象徴です。
小松姫です。
情に流されず、父真田昌幸と袂を分かった夫真田信之の留守を守る気丈な姿、しかし、沼田城からは追い返したが、城の外で義父に孫を見せようとする女性らしい気遣いを見せる姿、あっぱれだと思います。
どう考えればよいか些か考えました。
ようするに大河ドラマで見たい人と考えてみました。
しかし、思い付きませんでしたので二時間ドラマ枠で、伊達政宗の母親義姫です。
東北1の美女と言われた最上時代。
嫁ぎ先の息子政宗と対立する伊達時代。
天下統一後の最上家に訪れる悲劇と危機。
見所はいっぱいだと思います。
秀吉の糟糠の妻………ねね(寧々 ?)
秀吉の妻となるなや経済面の全てを引き受けて切り盛りし、果ては加藤清正、福島正則等の面倒をみてひとかどの武将に育て上げ、秀吉亡きあとは家康や他の武将にもいちもく置かれる影響力大の女性,。
彼女の聡明なところは、情に流されず大局を冷静に見極め、秀吉亡きあと誰がこの先天下泰平を実現できるかを冷静に見極め判断できる人物であったことだ。
前田利家、山内一豊等亭主を支えた女性は数多いが、ねねの右に出るものはいない。
男尊女卑の世でなければ間違いなく歴史に名を残す一人であったと思う。
細川ガラシャ(明智 珠)
戦国時代屈指の美女にして、その洗礼名ガラシャ(Gratia=Grace:神の恵み=崇高)を戴いたことからも最高の女性であったことが伺えます。
その生き様を通して、天下の謀反人の娘の汚名を注いだばかりか現代に連綿と続く細川家中興の礎をなし、その名を世界に記した女性は他に例を見ません。
直系ではないにしろ、第79代内閣総理大臣細川護熙氏の御先祖様に当ることは誰しも知るところです。
細川ガラシャの生涯、特に「本能寺の変」以降の彼女に興味があります。
味土野に幽閉されていた時、赦されて夫の元に戻って以降も、身を落とすことなく高い精神性を保てていた、その強さに惹かれます。(人間だもの、ヤケになって悪心に支配され自堕落になったっておかしくないのに)
私見ですが、キリスト教に出会い「ガラシャ」という別の名前を得たことで、彼女はそれまでの人生を肯定できたし、救われたのではないかなぁと思います。
タイムマシンがあったら、会ってそのあたりのことを聴きたいな。
甲斐姫に一票。
いろいろ創作されたり、脚色された話もあるみたいですが、忍城に籠って戦った事は事実でしょうね。
秀吉の側室となった後、大阪城落城の際逃げのびて、尼となった説もあります。
とても利発で頭の良い女性だったと思います。
愛姫(伊達政宗正室 田村清顕息女)ですかね。
理由は大河ドラマ「独眼竜政宗」の影響。後藤久美子が可愛かったから(笑)。
地元には伊達家ゆかりの史跡が多いので、どうしても愛姫の注目度は高くなり
ます。
余談ですが、今年も4月から三春町で愛姫スタンプラリーが開催されます。興味
のある方は三春町にお越しください。
後は小松姫(真田信之正室、本多忠勝息女)にも興味があります。
こちらは「真田太平記」の影響で、紺野美沙子のイメージです。
関ヶ原合戦時に、舅であり「表裏比興の者」と呼ばれた真田昌幸を、沼田城の城門から追い返す逸話が好きなんです。後世の創作とも言われていますが。
こうしてみると、NHKの時代劇の影響力が大きいですね(笑)
お市の方
・浅井三姉妹(茶々、お初・お江)を立派に育て上げたこと
・浅井長政、柴田勝家に最後まで添い遂げたこと
・NHK大河ドラマで鈴木保奈美が凛としたお市の方を演じていたことも好印象
寧々(北政所)
木下藤吉郎・のちの豊臣秀吉を陰で支え天下人までに押し上げたこの方が、もし男であったら思うと妄想が尽きません。
実子はいなかったとのことですが、後の有力家臣となる加藤清正や福島正則らを幼少の頃から養育し、その腕前はお見事!何人もの側室を娶った秀吉ですが、家中に混乱が起きなかったのは北政所が正室としてしっかりと取り仕切っていたからではないでしょうか。
秀吉の没後は、淀君と異なり政治には一切関わらなかったことも、この方のおおらかさ・心の大きさを感じます。
明智煕子です。今年のイチオシとして。
…
『月さびよ 明智が妻の 咄せむ』
攻城団ブログにも掲載されましたが、松尾芭蕉の詠んだ句です。貧しいはずなのに、あたたかいおもてなしをしてくれた旅先の夫婦に煕子の話をしてあげたんだそうですよ。
「顔に疱瘡の痕が残ってしまったのに、光秀は意に介さず妻にした」とか「自分の黒髪を売って金を工面した」なんて話でしょう。美談ですよね。煕子には優しさだけでなく、日本人女性がもつ芯の強さを感じます。
…
大津の西教寺に煕子の墓がありますので、坂本城攻城の際に立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
忍城の戦い等でいくつもの伝説を残している「甲斐姫」でしょうか。
東北無双の美人と評されながら、武器を持っても、兵を指揮しても無双の活躍の伝説。
のぼうの城の公開前までは忍城の戦いの主役は伝説に彩られた「甲斐姫」だったんですがね。のぼうの城で逆に印象が薄くなってしまいました。
戦国時代の好きな女性…ちょっと迷ってしまいました。平安時代末期の源平合戦の時の源義経公の妾だった静御前や木曽義仲の妻や妾とも呼ばれてもいる巴御前なんかが好きな歴史上の女性ですが、戦国期となると…。
浅井長政、柴田勝家に嫁いだ織田信長の妹のお市の方ですかねぇ…。戦国一の美女と言われた話もさることながら、信長公に、男に生まれたなら、武将としても一流だったと言わしめた才覚もまた、好きな要素の1つです。創作の話もありますが、金ヶ崎の戦いの際の小豆の話なんかもいいな、と思います。
また、常に厳しい状況に置かれながらも、織田家や浅井家を絶やさないよう、心を尽くした生き方もまた、好きな要素の1つです。
山内伊右衛門の妻の千代です!
司馬遼太郎さんの「功名が辻」を読んで好きになりました。
高台院です。豊臣秀吉の正室でおねとかねねとかで知られる有名な方。
夫の天下統一までを支え、さらに秀吉の死後に起きた混乱期を生き抜いているところなど行動力のある女性という印象があります。
ドラマの影響で家康と親密で淀殿と仲が悪いというように描かれがちですが、そうでもない。豊臣家の未来を一貫して支えようとした、芯の強さが好きな理由です。
戦国時代の女性の記録はあまり残っていないので評価が難しいところもありますが、しいて言えば山内一豊妻千代ですね。
創作もだいぶ入っているかもですが、やはり良妻賢母ということで。
珍しいお題ですね。
戦国時代はあまり女性にスポットが当たる時代では無いような気がします。
それでも活躍した女性はいるものですよね。
今回は活躍という視点ではなく印象だけで選びます。
候補がお二人です。
①濃姫
信長公の妻として天下布武を陰で支えた。
②お市の方
秀吉、勝家が争ったほどの美女らしく。
理由が薄いです…。
立花誾千代様です。
地元の英雄ですから。柳川では国母とされ、三柱神社に神様としてお祀りされています。
立花道雪公の一人娘で立花家(というか正式には戸次家)の当主となり、立花城の城督になりました。
男と同じ手続を踏むことで女城主となったことが、現存する資料(大友宗麟と義統の連署)で確認できる珍しい事例です。
重要文化財大友家文書にも勇壮であることが書かれるほど勇ましい女性でした。
女性の身で雷神、道雪公の跡を継いだのですから、勇ましい姿を見せなければいけなかったという事情もあったでしょう。
馬術が得意で鉄砲が撃てたとの話や関ヶ原の戦いの折、軍を率いて鍋島海軍を追い払ったという話もあります。
どんな女性だったのか見てみたかった・・・。
最上義光娘の駒姫や武田勝頼の妻北条氏など悲運の女性に思いをはせることが多いのですが、興味深いという点では、淀殿です。父と弟を叔父に殺され、母を死に追いやった男の妻となる。胸のうちはどんなだったのでしょう。そして、最期は豊臣の為に殉じたのか、それとも、、。
氏郷の正室、冬姫
松坂、会津と転封される氏郷をしっかり支え、氏郷亡きあと秀吉に側室になるよう何度も呼ばれても従わず、尼になって秀吉の前に表れ、驚かせた。信長の娘のプライドあっぱれ❗️
話題性があるといえば、2017年に大河ドラマともなった井伊直虎か九州の立花誾千代ですよね。僕は岐阜県の岩村城の女城主の通称おつやの方ですかね。時代背景としては、当時大きく勢力を伸ばしていた織田家と武田家が争っていた時代です。岩村城がある東美濃も武田家と織田家の境界線となっていて激しい戦いが日々行われていた場所でもありました。(信長が武田家に奪われた岩村城を取り返すように息子である信忠に命じているのでそれだけ大事であったかが分かります。)岩村城は織田方の遠山家という豪族が納めていましたが、その当主が病死してしまったので信長は養子として5男を送り込みました。その5男はまだ幼かったため、後見についたのがおつやの方だったのです。そんな中武田家が岩村城を攻めに来たのです。織田家からの援軍もなかったため、織田方は降伏しました。その際におつやの方は岩村城攻略の大将だった秋山虎繁と結婚したのです。ですが長篠の戦で武田家が弱体化すると織田家は岩村城を奪還するために兵を進めました。そして5か月の攻防戦を経て、岩村城は落城し、夫の虎繁も処刑され、おつやの方も処刑されてしまいました。長々とこの時の歴史について語ってしまいましたが、織田方だった女性が織田家を裏切って最後まで戦いうところが非常に興味深かったです。
学生の頃、図書館でよく歴史ものの本を借りて読んだのですが、その中でお江と、細川がラシャの本(題名は忘れました)が記憶に残っています。その二人が今でも好きです。二人とも戦国時代を見事に生きぬいた姿がすばらしいと思えるからです。どちらか選べなかったので、二人とも1番好きということで。
糟糠の妻と呼ぶにふさわしい高台院。
難しいですね・・(-_-;
ガラシャ、お市、帰蝶、諏訪御料人、お松、誾千代、ねね、愛姫、お船の方、江、直虎、千代などなど。
皆、殿方に負けない知名度や逸話が多い方々なので、一番を上げるのは難しいです。(これまで考えた事もなかった)
強いて上げるとすれば、浅井家の3女として生まれ不遇の時を経て最後には将軍秀忠の正室まで上り詰めた江を推薦します。
小松姫