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真田昌幸、信繁親子は好きな武将ではあり、仕えたい武将でありますので、理想の上司かもしれないのですが、今回は、3名挙げたいと思います。1人目は、豊臣秀長公です。ナンバー2ですが、豊臣政権が磐石になったのは、秀長公の貢献も高いと思っています。また、秀長公がいなかったら、晩年の秀吉のおかしな政権運営をもたせることができずに、もっと早く崩壊していたかもしれないと思います。もう一人は、片倉小十郎です。豊臣秀吉からの誘いを断った話は好きで、伊達政宗公を常に支えていた姿勢は、ついていきたい、支えたいと思う理想の上司像です。最後は、立花宗茂公です。有能であり、部下や領民にも慕われた武将であるけれども、関ヶ原の戦いで西軍についたために一度は改易の憂き目にあいながらも、最終的に、旧領に復帰するストーリーが好きで、もし仕えるなら、改易の期間も、旧領に復帰するまでも支えていきたいと思わせる方だと思います。2020年9月追記。興国寺城を攻城して、天野康景顕彰碑の説明板を読んで、天野康景公を追加したいと思います。説明板には『康景公の部下が領内の竹や木材を盗もうとしたものを切り捨てたら、その盗人は、天領の領民だったため、その天領の代官と争いとなり、幕府からは、部下の処罰を求められたが、拒絶し、最終的に康景公は出奔し、興国寺城は、廃城となった』と。逃げ出したのはいただけないのですが、部下を守るために、封建社会の上位組織と闘った姿は尊敬できます。
締切後に回答されました【上司】
北条氏康
領国経営に長けていて教養や知識もある。
本音かどうかはさておいて、民衆によりそう優しい上司のイメージ。
【経営者】
徳川家康
会社が潰れてしまってはどうしようもないのでこの人。
経営手腕の確かさは15代にわたる長期政権が証明してくれている。
この質問正直難しかったです‼️好きな武将=理想の上司ではないですから。
中途採用で実力主義の織田信長も理想の上司なんですが、比叡山焼き討ちや一向一揆の撫で斬りはしたくないですよ。
ということでギリギリまで考えた結果、黒田官兵衛、長政親子が理想の上司と決めました。
いち国衆の家臣から秀吉に仕え、最終的には福岡50万石の太守にまでなりましたから。そして豊臣恩顧の大名の中で国替えや改易もなく、幕末まで残ったのは立派です❗上司がここまで出世できれば、部下も昇給があったのではないでしょうか?
これは迷うことなく、『北条氏康』公です!
・関東の覇者の地位にあって全く奢ることなく(「主将が官吏を選ぶのは当たり前のこと。官吏も主将を選ぶものだ」)
・民を慈しみ(「官吏を愛し、庶民を慈しむは主将の当然の務めである」)
・家臣の武功を見逃さず(「下の功労を偸まざれ」)
・子の四代氏政公には主将としてあるべき姿を厳しくも分かりやすく伝え(”汁かけ飯”の逸話)
・危機にあっては自らが先陣を切って立ち向かう(「汝ら心を一にし、力をあわせ、ただ我向かふ所を視よ」)
まさに王道中の王道で、君主の鑑のような立ち振る舞いです。初代早雲公以来の『家臣・領民あってこその領主である』との考えがとにかく徹底されていることが、安定した統治に繋がったのでしょう。
全国制覇を果たした人や、かなりの勢力を築き上げた武将は、いずれにせよパワハラありのブラック企業的なところがある。並々ならぬ苦労に悩まされると思う。
それを思うと、実力というより運で生き残った武将配下の方が、精神的に楽ではなかろうか。蛍大名などと呼ばれながらも、何だかんだで江戸時代になっても生き残った京極高次なんて案外狙い目なんじゃないかと思います。あくまでイメージ。実際はこうだ!とかいうのは野暮ということで、お願いします(笑)
「片倉小十郎」
「小刀ヲ以テ衝キ潰シ奉ル」と、傅役として少年の伊達政宗の片眼を潰しネガティブな政宗の性格を一変させたり、秀吉からの誘いをやんわり断って主君への忠節を示したこと。
会社人間としたらゴマスリ人間ではなく、上司の間違いを正せこと。また大坂夏の陣で敵将真田信繁が三女を託しているところも人間性が感じられる人物像。
在職中、「理想の上司」とは、「大筋の方針だけを示し、あとは部下に一任して自由に仕事をさせ、失敗の責任は自分が取るという姿勢を示して部下を育て、この上司のためならがんばろうという気持ちをもたせる人物」だと考えていました(自分ができたかと言われれば、内心忸怩たるものがありますが)。その観点から戦国武将を考えると、豊臣秀吉をあげたいと思います。他の武将と違い、彼には譜代の家臣がいないため、石田三成や加藤清正などを優秀な武将に育て上げ、彼らに豊臣恩顧の気持ちを持たせた点が私の定義に当てはまると思います。
長野業政(ながのなりまさ)です。頭がいいから。
(現代社会なら)徳川家康です。
給料の事もあるので歴史の結果をふまえてですが。
(戦国時代なら)真田幸村です。
いつ死んでもおかしくない時代なので、不利な戦を幸村と共に戦いたいです。
武田信玄です。
「渋柿は渋柿として使え。継木をして甘くすることなど小細工である。」部下が使えないからと言って切ったり、入れ替えたりするのは、上司の能力がないからである、と言うのです。
人材を適材適所に配置し、的確な指令を出し、強い組織を構築すると言うことは、現在の組織のトップとしても信頼感があり、部下は全力で仕事ができると思います。
一緒に苦労して仕事をしてくれそうな、
武田信玄(好きなのでひいき目)・明智光秀・木下藤吉郎・直江兼続・柴田勝家・加藤清正・島津義弘・保科正之・上杉鷹山が候補です。
この中でも一番は「柴田勝家」とします。
猛将のイメージが強すぎて、ドラマとかでは「戦さバカ」みたいに表現される事が多いので、誤解されているのではと思っています。
理由は、以下の通りです。(私見)
*先頭になって皆を引っ張る
*義理堅い
*豪快かつ温情家
*部下思い
*少し不器用に見えるので、私がフォローしたい
反対に上司としては無理と思うメジャー武将は、
・織田信長(怖い)
・豊臣秀吉(無茶を言う)
・徳川家康(性格が合わない)
・上杉謙信(神経質そう)
・伊達正宗(ワンマン)
・毛利元就(騙されそう)
上記武将のファンの方、ゴメンナサイ。
好きな武将と聞かれれば、伊達政宗公と織田信長公と答えますが、仕えたい武将となると信長公は命がけ…。
このお題では武田信玄公が一番です。
部下や民のことを考えた逸話がたくさん伝えられていますし。
戦の勝率も高いので、生き残る確率も高い?
政治は伊達政宗公ももちろん良いんですけどね。
少しだけ勝率が低い…。
立花宗茂です。
「人となり温純寛厚。徳ありて驕らず。功ありて誇らず。人を用ふる、己に由る。善に従ふ。流るるが如し。奸臣を遠ざけ、奢侈を禁じ、民に撫するに恩を以てし、士を励ますに、義を以てす。故に士、皆之が用たるを楽しめり。其兵を用ふるや、奇正天性に出づ、故に攻めれば必ず取り、戦へば必ず勝てり」
と名将言行禄にあります。
義に厚く、驕らず、功があっても誇らず、関ケ原の改易後も家臣が付き添った姿は、部下が上司を盛り立て、付いて行きたくなる理想の上司ではないでしょうか。
武田信玄
「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」の名言で有名。人との繋がりを大切にしたことがよくわかります。人の才能を見抜き、適材適所の人員配置を行いそう。1人だけ選べと言われればこの人。
私は竹中半兵衛様です。冷静沈着心の中は厚く それを表には出さず、後ろからしれっと人を動かすタイプの人が大好きです
ダンナにも聞いてみました 秀吉さまで理由は仕事を進める上で自分と合いそうだからだそうです。ちょっと意味がわかりませんでした(笑)
島左近。戦国武将は当然小説等でしか判断ができないのですが、その中で司馬遼太郎の関ケ原で描かれている島左近はとても人間味のある、柔らかい頭の持ち主で好感が持てました。「島の左近に佐和山の城」と言われるように石田三成は人を見る目はあったんだなあ。と思いました。島左近と大谷刑部が味方であったことは石田三成の財産だったと思います。
「理想の上司」と思える武将はというお題を、私が戦国大名で仕えるのなら誰か?と解釈しようと思います。
私が仕えたいと思える武将は越後の龍と呼ばれた「上杉謙信」です。
戦場での駆け引きが非常に優れ、高い勝率を誇りそれはまさに「軍神」。
また謙信公に関しては色々な説や噂(良悪)があります。
私が一番惹かれるのは、信念を貫き通すブレない所です。
義を重んじ、武田信玄、北条氏康からも信用される御屋形様は戦国最強の一人であり別格である。
出奔するかもしれないけど木下藤吉郎から羽柴秀吉の頃の秀吉の下で働いてみたいとは思います。ウソみたいなスピードで出世街道を爆進する上司のもとで働くのは興奮するでしょうし、そこに少しでも貢献できたらうれしいと思うんですよね。
出奔後は伊達政宗の下でもうちょい乱世を楽しむか、徳川家康の下で平穏な日々を過ごすかはそのときの気分で決めようと思います。
羽柴秀吉でしょうか。
農民上がりで放浪生活を送っていたことから世間の実情を知っているとともに広い視野を持っていると思うので。
あとは部下のやる気を引き出してくれそうなので仕事が楽しくなりそう。
徳川家康。幕府創業者というのもあるけれど、中長期的にいろいろ仕事を権限もたせて任せてくれそう。
上杉謙信
羽柴秀長。道理のわかる人というイメージがあるので。秀吉は上司だとちょっとつらいかな
豊後大友家の重鎮「立花道雪」です。
主君の大友宗麟が酒色に溺れるバカ殿になった時に必死に諫めて立ち直らせた忠臣であり、落雷で下半身麻痺になっても輿に乗って前線に出て行ったすごい人。
また、戦の際に自軍の兵士たちに「危なくなったら自分を輿ごと置いて逃げても構わないから、頑張って前線へ切り込め」と言って鼓舞したとか、部下思いだったいうようなエピソードが残ってます。。
ひょっとしたら後世の創作も交じってるかもしれませんが、こんな人が直属の上司または自部署の部長とかだったらいいなぁ・・・と思います。
小早川隆景ですかね。
野望で部下を消耗品のごとく使う尾張の武将のようなことはしないし、先を見据えて家臣が最も損傷が少なく残っていく策を常に考えている。
火急存亡の折は、自らが犠牲になる率先垂範の哲学。
そして、何より常に沈着冷静でかつ剛毅と。
このような武将が天下人になれないのが、今も昔も世の常ですね。
毛利元就
私の好きな武将でもあるのですが、大谷吉継です。
まわりの武将や家臣からも厚い信頼を得ていたところは、まさに理想の上司と言えると思います。
大谷吉継のことを知るたびに、人として大切なものを感じさせられます。
石田三成
つい最近まで悪役扱いされてましたが、あれだけ領民のためにできる人ってどれだけいたのかな…と思います。
秀吉さんです。秀吉さんの鳴かぬなら鳴かせてみようホトトギス」の有名なものがありますね!僕も信長とどちらかというと秀吉さんですね!鳴かないのなら鳴かせてみるという好奇心旺盛なところと、忍耐力があるからですかね!(ひさびさにしっかり書いてみました(笑))
徳川家康かな。基礎からしっかり教えてくれそう。
直江兼続ですかねぇ。
天下人の徳川家から噛みつかれても上杉家には疑わしき事なし、と権力に臆せぬ姿勢は見習うべき。
米沢へ国替えされた際も家臣団を見捨てず、地道な内政によって石高を高めた手腕も見習いたいと思っています。
内輪もめがほとんどなく、領民にも優しい税制、目安箱の設置などの「北条氏康・氏政」ですかね。悪い意味で使われている「小田原評定」も実際は評定衆(輪番制)による合議制ですしね。
色々考えましたが、(天下を取るまでの)羽柴秀吉でしょうか。「人たらしの秀吉」と呼ばれましたが、私も「たらされ」てみたいです(笑)。会社の経営者が晩年の豊臣秀吉の様だったら、社員は大変ですね。
織田信長でしょうか?
残忍な性格のイメージですが優秀な人間なら敵だった人間でも家臣に取り込んでくれたそうです。
その他は戦ばかりでなくインフラの整備や外国の文化を取り入れる等先見の目があるところです。
黒田官兵衛ですね。なぜなら、頭も良いからその人と一緒になると、いろいろ教えてくれそうだからです。