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・群馬県渋川市の長井坂城。「真田丸・上野1人旅」と勝手にネーミング、沼田城をゴールに、前橋城から車を走らせるも、行けども行けども近づけない(後になってナビに大回りさせられたことに気づく)。どんどん人里から離れ、いつ雨が降ってきても不思議でない寂しい空模様。こんなはずではなかった。やっと着いたところが高速を見下ろす長井坂城の登城口。霧が巻き、あたりはシーンと静まり、動物の鳴き声すらしない、複雑な縄張りも相まって身も心もひんやり。当時は交通の要所でも、今の道路事情からは、陸の孤島とも感じた長井坂城でした。(当日の天気の影響もありますが)
締切後に回答されました未攻城ですが、彦根の山間部の廃村にある男鬼入谷城です。『近江の山城を歩く70』によると、巨大山城にも関わらず1981年度から10年かけて実施された分布調査でも発見されなかった城跡だそうです。また、立地も街道や集落のない山々に囲まれた隠れ里的な場所にあり、文献にも登場しないため城の名称までも仮称と紹介されています。
謎に包まれながらも近江トップクラスの縄張りを誇る山城の触れ込みは惹かれるものがあり、アクセスは悪いですが訪れたいと思わせるお城です。
質問採用ありがとうございます。この質問をリクエストした経緯については、城郭DB構築プロジェクトに登録申請する際にたびたび「こんなところに城跡があるのか」という場面に遭遇していて、私の知る城跡以外にもあるのではないかと思い、リクエストしました。
私が気になった城はやはり飛騨の山城ですね。人里離れた場所に城跡があることが多く、特に江馬氏関連の城はその特徴がありますね。暫定登録に関わらせて頂きましたが、岐阜県史跡の傘松城や江馬氏関連史跡の政元城、洞城、石神城、寺林城はすごい辺境地にある城だなと思いました。
未登録&未訪問なのですが、岡山県津山市に岡山県で一番高所にある「爪ヶ城」という城があります。標高1075m、比高720mの堀切があるかな?程度の城なんですが名前を見て感づかれる方もいらっしゃるでしょうが「矢櫃城」という城の”詰めの城”が訛ったものだと言われています。ところが、この「矢櫃城」も標高910m、比高570mの山城の中でも高所にあるガチガチの山城で詰城の詰城?何で?というような感想です。
とは書いてみましたが、やはり意味のないお城はないもので監視や狼煙場としての利用や、このあたりは尾根道を利用したネットワークがあり重要な役割があったのだと思います。
写真は美作ラグビー・サッカー場から撮った那岐山系です。矢印のある山頂が「爪ヶ城」です。
中世山城のつもりで攻城した城山城(兵庫県)で古代山城の「築石」を知った4ヶ月後、たまたま立ち寄った石城山神籠石(山口県)になんとそっくりな「沓石」が。どちらも凹字状の穴がある平らで大きな石で、ゴロリと山中に横たわる様子に素人目にも共通性を実感。「なぜこんなところに古代山城が?!」というフラグが立った瞬間でした。神籠石全てを回りたいとは言わないけど古代山城の大親分、大野城(福岡県)は実地見学して立地など肌で感じてみたいです。(沓石(くついし)は相似がわかる写真を撮っていなかったのでパンフより。)
日本三大山城の一つ、奈良県の高取城です。
初めて訪れた時の第一印象が、まさに「何故こんな山の中に立派な石垣を備えたお城が作られたのか」でした。
山城は土塁や空堀が中心で、高取城や竹田城の様な石垣まで備える山城は珍しいとは思いましたが、付近の主な城(大和郡山城や宇陀松山城など)との連携も、少し離れ過ぎてて不便な気がしました。
案内板には「織田信長の一国破城(いっこくはじょう)により、天正八年(一五八〇年)に一旦は廃城となるが…」と記述がある様に、廃城になりながらも復活している状況から、何故この地にこだわったのかますます謎が深まります。
お城の立地って、我々が思う以上に考え抜かれているので、歩くのが大変でも、船でしか行けなくても、あまり「なぜ、こんなところに?」とは思ったことがないですね。強いて挙げれば、「北畠氏城館跡(写真、庭園)」でしょうか。車でしか行けないのに、その道が狭いくねくね…たどり着くまでに心が折れそうでした。あくまでも、現代人の視点、言うなれば自分の都合(笑)ですけどね。
2021年に攻城したカムイチャシでしょうか。これまでに攻城した城跡と言えば戦の施設、若しくは権力を誇示する施設とのイメージを持っていましたが、岬の先端にあるこのチャシは、戦の施設、権力を誇示する施設とはどうしても思えませんでした。どちらかと言うと神様を祀る場所という印象を強く受け、このような神秘的は城趾が何故岬の先端にあるのか、不思議に感じています。
「北畠氏館」です。
伊勢国司の城館が想像以上に山深いところにあって驚きました。大和国から伊勢神宮に至る伊勢本街道沿いにあるので、かつては栄えていたかもしれませんが…
お城EXPOの北畠氏城館ブースで教えていただいたオススメのアクセスルートは県道15号です。また行かないと。
辺境の地に行った事が無いので、難題です。
以前、山に囲まれた小さな集落に登山道入口がある某城に行った時の事です。登山道には太い倒木が数本、キツイ山道、遺構は藪で見えない。大型動物の排泄物有り。「こんなお城、いやだ!」と思ったのですが、本郭から遙か下を見れば、自動車専用道路が見えて、交通の要衝だということが分かりました。その時に、無駄なお城は無いのかな?と思いました。答えになっていませんね…すみません。
ヲンネモトチャシなど根室半島チャシ跡群を推します。
新千歳空港から始発で向かっても着くのはお昼頃、地理的にホント端っこで、戦とは無縁と思えるほど、のどかな場所にあるので。
ペーパードライバー+日帰り攻城ばかりで、お題に添ったようなお城へはきっと行けてないです。
でも郡上八幡城南東の赤谷山城は、郡上支配拠点としても、険しい、郭間連絡なし、狭い(なんでこんな所に?)と思えました。
城主の東氏は前の城・篠脇城が越前朝倉氏に攻められ、ここへ城を移したそうで、後日私も篠脇城へ行ってしまいました。
篠脇城は和歌を詠むべく庭園もあり、東常縁が古今伝授まで行ったステキ城。全方位畝状竪堀群もあります(当時からあったかは不明)赤谷山城と比べるとギャップがすごいです。
赤谷山城は時を待たず親族の遠藤氏により落城。
そうか、この険しさは力を蓄えて篠脇城へ戻るための雌伏の城だったからかな〜、と解釈しました。でも寡兵しか収容できないだろうし、多勢に負けたのかな。
なんでこんな所に?と勝手に妄想するのも私には攻城の醍醐味です(^^)写真は主郭西の巨大松ぼっくり風石垣。
近江の男鬼入谷城です。琵琶湖の東には彦根城、安土城をはじめ魅力的な城が多く築かれましたが、男鬼入谷城は大規模な山城でありながら近年まで発見されなかった事を含め、特に異彩を放っています。通常の山城は何らかの役割があってその場所に立地する訳ですが、男鬼入谷城はその理由が全くもって不明な山奥。周囲はほぼ山しか見えません。六角氏と争っていた京極氏が籠城するために築いた山城との説がありますが、それにしても山奥すぎない?というのが私の感想です。縄張りは戦国期後半の発達した構造であり、とても良い山城なのですが、なにしろ行くのが大変な謎の巨大山城です。
離島の城について、海城としての利用がなかったりすると、“なぜ、こんなところに…”とは思ってしまいます。離島にはなかなか攻城できていないので、たとえば、愛知県の篠島城とか滋賀県の琵琶湖の坊谷沖島城とかは、能島城のように水軍の拠点に利用された歴史がみられなかったので、なぜ?とは思ってしまいました。篠島城は、徳川家康が伊賀越えをした際に、宿泊した場所だって話もあったりするので、周囲の守りを固める意味では有用なんでしょうか?
あまりに高い場所にある城も、守りにはいいのかもしれないですが、攻めるには不向きすぎるようにも感じますが、それは素人考えでしょうか?昔の方は、現代人より体格は小さいとされていますが、体力はすごいなと感心してしまいます。
春日山城(上越市)です。数ある山岳の城攻めの中では思い出深く、真夏でしたので急峻な道のりに悪戦苦闘。当時の人たちも苦労したんだろうなぁと想像しながら登山しました。さすがに難攻不落、天下の名城で、本丸跡からは遠くまで見渡せてとても見事な風景です。