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群馬県渋川市の猫城です。(私は未攻城です)
お城の名前て、その土地の名前が由来であったり、最初に築城した人や城主の名前を付けられたパターンが多い中での「猫城」。
城主が買っていた猫が長寿で、大事に育てたら恩返しした逸話から付いた(ジブリかよ)とか、実は「猫」という姓の武将が居た(マラソンランナー?)とか、と思ってたら全く違うようです。
現地の説明板には『定かではありませんが、「猫が背を丸めた姿に見える」とか、「敵が攻めてくれば高くなり、城より攻め下るときは低くなり、まるで猫のようだ」との言い伝えがあります。』と書かれています。
また一方では『中世山城脚下の武士居住地「根小屋」に由来する』というサイトもありました。この「根小屋」が「根小→猫」に変わった、という方が納得行く気がします。(標柱にも史跡 猫(根小)本丸と書かれています)
むぎさんのブログ「むぎの城さんぽ」にも紹介されていました。
私の持論になりますが、やはりお城の名前は第一印象や注目度を決める重要な材料になると思うんですよね。なので、私の場合は長い城名や難読漢字が使われているお城が結構インパクトを受けますね。
行ったことのあるお城で挙げるとするならば、福井県高浜町にある砕導山城ですね。最初見て知った頃は「さいちやま」とは読めずに「さいどうやま」や「さいどうさん」と読んでました(笑)
このお城は福井県最大規模の山城ですが、特に切岸遺構がかなりのインパクトを受けました。眼前に絶壁とも言える高い切岸があって、そこに縄が垂らしてあって写真の「順路↗︎」の看板が設置されているのを見たときは、思わず「マジかよ(困惑)」と思うくらい度肝抜かれましたね…(汗)
他には未攻城ですが、富山県の井田主馬ヶ城だったり、未登録城ですが千代ヶ様城ですね。これは完全に名前のインパクトですね。富山県は珍しい名前の城が多いイメージがあります。
鎌刃城です。名前の由来である鎌の刃の様な細い尾根道が印象的で気になるお城でした。また、山ビルの聖地等々コメントを読む限りかなり上級者向けのお城だと認識していました。今春ようやく功城を果たしましたが、城内は主郭以外はトラロープが張られた場所がたくさんあり、大変でしたが大満足でした!見所が多くてまた訪れたいお城です。
写真は名前の由来となった尾根道です。
【じょうじょうじょう!】
愛知県春日井市と新潟県長岡市に同名で「上条城」があります。漢字で書くと普通ですが、ひらがなにすると「じょうじょうじょう」で、インパクトがあります。
残念ながら遺構はほとんど残っていませんが、訪問すると気分上々々するかもしれません。
僕が住んでいる地方には尼の字が付く城跡がけっこうあり、尼子氏と何らかの関係があると言われていまして気になって道もない山に行ったりしています。写真は尼ヶ城跡の虎口で大きい土塁と横堀がよい状態で残っています、道路から直ぐなので行きやすいのもgoodです。
猫好きの自分としては、地元群馬の「猫城」が気になります。と言っても、普通に考えて「根小屋」または「根古屋」が変化した名前では?と言われています。昔、猫城の周辺は「猫」という集落だったそうです。昭和30年頃?に、地元の人々が「動物の名前の地名は嫌だ」と、猫の地名を変えたと聞いた事があります。現在は、お祭りやイベントに「猫」の名前が残っているくらいかな?問題のお城は、南側に沢がある小さな山城で、ドングリが多く、猫というより、大型の野生動物がいそうな予感!それなりに遺構がありますので、機会があればお越しください。
今帰仁城(なきじんぐすく、なきじんじょう)。漢字も語感も、魅かれるものがあります。いつかいってみたい。
一番気になったのは、猫城ですね。「何で猫なんだろう?」別名に根古城とあるので、地名やなんかからの変換かなと思ったり…。で、他の動物の名前がついている城を調べて見ました。動物名一字の城は見当たりませんでしたが、猫尾城とか、犬山城とか、あっ犬尾城なんてのもありました。虎などは強そうだからよく使われているかなと思ったけど、43のお城がヒットして、そのうち名前に虎がついているのは4つでした。宇和島城は、別名にも虎がなくて、さすがに「何で虎?」と思ったのですが、「藤堂高虎の虎だ!」と気づきました。気になるお城から少し話は変わりましたが、「攻城団の検索、精度高っ」と感動しました。結局猫城の意味はわからず、気になるばかりです。
羽衣石城(うえしじょう)は一度訪問していますが、いまだに正しく読めない自分が情けない。ただそれだけのオチなし投稿です。
早落城です(読みは「はやおとしじょう」)。城の紹介文にあるとおりですが、攻められ、早く落城したからといって、そのまま後世に城名として残ってしまったのはなんだか不名誉ですね…。ちなみに洞城、洞山砦、という別名もあるのですが。早落城自体は、小さな山城で、連なる曲輪、堀切など、短時間で楽しむことができます。(近頃、倒木などで遊歩道が通れないこともあるようです)
気になる名前のお城‥私にとっては未踏エリアですが、要害山城です。
皆様ご存知の躑躅ケ崎館の詰城で、花を冠したキレイな名前の館と対照的な質実剛健なその城名にまず惹かれます。
そして(ホントに要害!)と感じるのか、攻城中の自分のリアクションも楽しみ。お城のページを見る限りホントに要害のようですし、縄張りも面白そう。信玄公をお腹に宿した夫人がそこへ避難・出産された等の逸話も良いですね。
要害山城の出城の熊城も、出城なのにラスボスみたいな城名で、攻めたいです(^^)
鬼ノ城です。
神籠石には古代のロマンが溢れてると思います。記録がなく謎に包まれていますが、なぜ「鬼」なのでしょう?
「温羅伝説」「桃太郎伝説」
想像するだけで楽しいし、鬼城山のパノラマも素晴らしいです。このまま解き明かされなくても、いい気がします。
ロマンのままで。
浮気城は「うわきじょう」ではなく「ふけじょう」と読みます。「浮気」は城がある地名で、守山市誌によれば「地名は水澤の池、水がふけるの意味で、野洲川の伏流水が至る所から湧き、泉や小川となって里中を流れ、常に水気が立ちこめる風景を呼ぶ名称です。」とありますが、「ふける」を「浮気」と表記する理由はわからないようです。浮気城の築城年代は定かではありませんが、浮家時房によって築かれたとされます。 浮家氏は北条氏の出で時綱の時に浮家を領し、その後浮気氏を名乗りました。現在城址は住吉神社の境内になっており土塁と堀が良好な状態で残っていました(2020.11.23攻城)。写真は住吉神社です。
意味ありげな名前と城の歴史についてロマンがあるのは岐阜県の帰雲城ですね。
帰雲城は当地を治めていた内ケ島氏の居城でしたが、天正地震による帰雲山の崩落で城や城下町が埋もれてしまいました。
現地は山深い立地となっており、県道156号線から少し庄川方面に入ったところに城址碑や帰雲神社が鎮座しており、その場所から帰雲山の崩落跡といわれる山肌を望むことができます。
内ケ島氏もよくわからない謎の一族ですし、埋蔵金伝説なども存在するので遺構は発見されていませんが、面白いお城だと思います。
写真は帰雲城城址碑と崩落跡と考えられる山肌です(2011/9/24撮影)。
ちょっと変わったお題ですね。
気になる名前としては、岩手県の人首城って名前の城あとが気になりました。わりと近くには、毒沢城とか火渡館とか気になる名前の城あとが多い地域になります。どんなおどろおどろしい伝説や逸話があるのかな、と思っていたら、すべて、単純に築城主や支配領主の方のお名前みたいでした。毒沢城の近くには、清水の出てる場所があるみたいで、実際飲めるものか不明みたいですが、ネーミングからしたら、ちょっと気が引けてしまいそうです。
難読な城名の城あとがありますが、物集女城や頴娃城とか読めませんでした。どちらもやはり、武将や支配領主の名前の城みたいです。
城城です。建てた人、名前考えるの面倒くさかったんですかね?
色んなユニークな名前のお城がありますが、私がお城好きになって初めて気になった名前の城は、「狐落城」です。
その名の通り、狐が落ちるほど急峻な山城なのですが、なぜ狐をチョイスしたのかが気になります。
他にも鹿や猿といった動物がいるにも関わらず。
命名者はどなたか存じませんが、ぜひ村上義清公に伺ってみたいものです。
御飯ノ山城
霜降城
八丁目城
城城
幻城
白旗城
全部すごい名前だから
雨城(うじょう、千葉県 久留里城)です。
久留里記に「築城後、3日に一度の割合で雨が降ったので、雨城と言うようになった」と記録されているようです。
久留里城訪問後、駐車場に戻る道中で看板を目にして記憶に残りました。
その時は「たまたま梅雨の時期に完成したからじゃないの?」「安易な名前の付け方だな」なんて思ったものです。
でもそれ以来、お城の別名が気になるようになりました。
別名とはいえど、地元の人、当時の人からすればその名前で認識されてたんだろうなと思います。
鳥取県にある狗尸那(くしな)城です。
元ネタは釈迦が入滅した古代インドの都市、「拘尸那掲羅(クシナガラ)」だと思います。
この地を治めていた鹿野城主・亀井茲矩は鹿野城を「王舎城(おうしゃじょう)」(古代インドの都市名で仏教の聖地)、城下町を「鹿野苑(ろくやおん)」(釈迦が初説法した聖地)、城下を流れる川を「抜堤川(ばったいがわ)」(拘尸那掲羅に流れていた川で西岸で釈迦が入滅した。)等、周辺の地名を仏教に因んだ名前に変更した流れによる命名だと考えられています。
狗尸那城のある山も「鷲峰山(じゅうぼうやま)」(霊鷲山の別名で釈迦が法華経などを説いた聖地)と仏教の聖地に因んだ名前です。
千葉県富津市の「上総湊駅」から徒歩1時間ほどに、「天羽城」があります。
この地は、大多喜城主として有名な正木氏が館を構えており、この城もその支配下にありましたが、元は地場豪族の天羽直胤が築城した城です。
この天羽氏は「あまは」と読み、今でも学校名など多くにこの「天羽(あまは)」が残されています。
ところが、この城名は「あまはじょう」ではなく、「あもじろ」「あもうじろ」「あもしろ」などと読むのです。
まず、「あまは」が「あも・あもう」に変化したのは、まあ分からないこともないのですが、城名以外がその変化していないのが不思議です。
更に、地名の「~城」を「~しろ・じろ」と読む例は数えきれないほどありますが、城郭の固有名詞で「~しろ・じろ」という読み方をするのは非常に珍しいケースですよね。
私は、この城以外にこういった例を知りませんが、他にもあるものなのでしょうか。