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龍岡城です。
攻城した日は、たまたま田口小学校のお別れ見学会でした。学校関係者ではないため、校舎内には入りませんでした。閉校した今となっては、せっかくの機会だったので、「入っても大丈夫ですか?」と勇気を出して言えば良かったと後悔をしています。
我が母校の和歌山大学教育学部は、和歌山城から道路1つ隔てた、広い意味の和歌山城内にありました。ブラタモリでもありましたが、砂丘の名残かグラウンドには松の古木があり「根上り松」として大切にされていました。老朽化のため、移転してすでに40年近く経ちますが、学生時代の大半を過ごした真砂キャンパスが思い出に残っています。部活の花見は、もちろん和歌山城、休講になったら、和歌山城を散歩、動物園にもよく行きました。今は、県立博物館と近代美術館が建ち、付属小・中学校は大学移転後、跡地に建て直されて、昔の名残はほとんどありませんが(校門は残っています!写真)大切な思い出の場所です。
締切後に回答されました長期間にわたり攻城生活をしているので、学校になっている城址をかなり攻城してきました。ほとんどは小学校になっている比較的小規模の城址ですが、なかには大学や複数の学校になっている城址もありました。たとえば、金沢城は、現在は移転していますが、かつては金沢大学になっており、石川門から先は観光客は立入禁止でした。また、水戸城には、現在でも高校2校、中学校1校、小学校1校(幼稚園も)が存在します。大手門や二の丸角櫓が復元されていますが、将来的には学校をどうするのでしょうか。駿府城にも複数の学校がありますが、ここは他に県庁や裁判所、病院などもあるので城址公園一本というのは難しいでしょう。もっとも福岡城は城内にあった野球場、学校や裁判所を移転させ城址公園の形が整いつつあります。印象深いのは佐賀県の鹿島城です。現在は県立鹿島高校になっていて、本丸正門である「赤門」は校門となって現存しています。周辺に武家屋敷も残っており、お城と学校が見事に溶け合っています。写真は鹿島城の赤門です。
前回はお題をよく読まずに投稿してしまい、的外れな回答して申し訳ありませんでした。今回はちゃんと内容を理解して投稿します。
さて、印象に残っている城址は、つい先日攻城した神奈川県の玉縄城です。
玉縄城はいわゆる後北条氏ゆかりのお城で、重要な拠点だった様です。
城址は清泉女学院中学高等学校に主な遺構が残っていますが、Wikipediaにも書かれている様に「女子校ということもあって学校警備は厳重であり、限られた時を除き、城跡の見学はできない。」との事でした。
私も女子校に連絡して見学、なんて勇気は持ち合わせていませんでしたので、学校周りの遺構を見学しました。
写真は大手門跡にある案内板ですが、この向こうは学校の敷地内。生徒が居たら盗撮者と疑われる為、早々に退散しました。
龍岡城です。五稜郭の中に校舎やグラウンドがあるなんて、とっても羨ましく思いました。まもなく廃校になるとのことですが、廃校後、城跡として整備されるのか気になるところです。
【龍岡城(長野県佐久市)】
長野県にある五稜郭「龍岡城」が印象に残っています。
北にある田口城から全景を見ることができ、星型がよく分かります。龍岡城の西側にある五稜郭公園にも小さな星型の広場があり、双子星を見ることができました。
2022年度で小学校は廃校になるとのことで残念ですが、今後の整備にも期待したいです。
城址が学校ですぐに思いついたのは、静岡県の田中城かなと思います。学校を中心にお城だった面影を残す地形、点在する遺構など見どころがたくさんありました。夕暮れまで周辺を散策したのでちょっとあやしかったかな?!と思ってます。あとは三重の田丸城も三の丸辺りに学校がある城址ですね。登校=攻城になるのが羨ましい限りです。
一番印象に残っているのは、龍岡城五稜郭です。その昔、学生時代に龍岡城の周囲を徘徊していると、かなり怪しく(笑)見えたのでしょうか、校舎の二階から複数の児童から声をかけられました「オジさ〜ん、なにしてるの〜」。今の御時世なら、先生方から不審者として詰問されているかもしれませんね(笑)。龍岡城と聞いて思い起こされるのは、「あの時の小学生も、いい大人になっただろうな~」です。それにしても「オジさん、って…」今なら兎も角、当時は納得出来ませんでした(笑)。
水戸城は城域に複数の学校や公共施設が置かれていて、薬医門も高校の敷地内にあり、各学校の塀もお城の塀に寄せてデザインされています。前に訪れた時は休日だったためか、閑散としていて学校間の道を通るときに妙に緊張した覚えがあります。
長野県にある龍岡城です。
日本に二つしか無い五稜郭として有名です。
現在は龍岡城址に存在していた小学校は廃校になっているそうですが、私が訪問した時は確かに学校として存在していたので印象に残っています。
こちらの学校を卒業した方が卒業後も城で学んだということを誇りにしてくれればいいですね。
写真は龍岡城の水堀の写真です。石垣がはね出しになっていますが、これは函館五稜郭はじめ品川台場や人吉城など限られたお城にしかありませんので結構貴重です(2009/11/22撮影)。
石川県の小松城です。切込接の石垣が美しい天守台が現存しており、城跡のある小松高校によって周辺は整備されています。天守台までの階段も整備され眺望も楽しむ事が出来ました。
あと、訪れた事はありませが長野県の五稜郭こと龍岡城内にある田口小学校は、生徒数減少のためこの春で廃校とナニコレ珍百景で紹介されていました。何だか少し寂しい気がします。
龍岡城
龍岡城です。
ここは完成後たった4年で廃城になりその後150年近く学校施設として使われてきた全国的にも珍しい城で空からの写真を見るとこの城の特徴である五稜郭内がそのまま学校になっているのがわかります。
現在は佐久市立田口小学校になっていますが今年の3月に廃校になってしまうそうです。
ここを訪れたのは去年の夏でしたが堀沿いを歩いていると中の校庭から生徒達の遊ぶ声が聞こえてきました。
ちょうど今頃この学校最後の卒業生を送り出す準備をしている頃だと思うと龍岡城自体が無くなるわけではないのですが少し寂しい気がします。
まず思い浮かんだのは、多聞山城です。松永久秀が拠点とした城で、最初期の天守や瓦葺きの建物、漆喰の城壁等、最先端の築城技術が詰まった城だったとされています。信長に明け渡された後に破却された城跡は、若草中学校が建てられた際にも遺構の大部分が破壊されてしまいましたが、築城史に革命をもたらした城として外せません。
そしてもう一つ、郡山城も挙げます。二の丸跡に郡山高校があり、そこに通っていた友人を羨ましく思っていました。それが、現在郡山城を本城にしている一因でもあるのです。
龍岡城は印象的だったですかね。
水戸城です。
復元の大手門を抜けた先は学校が複数並ぶエリアになり、城域でもあります。
本丸の薬医門は水戸第一高校の敷地に建っていますが、公開されていて門までは行くことができます。
とはいえあまり学生さんの邪魔になっては行けないと思い足早に見学した思い出があります。
こういう学校に通えたらなあと感じましたね。うらやましい。
通っていた小学校の敷地がまさに城址、本丸でした。校舎の裏手にはうっすら盛り上がった土手が続いていて、幼いながら不思議だな、なんでかな?と思っていたのを覚えています。土塁とのファーストコンタクトはウン十年前だったのです。
途中で転校したので記憶の中の小学校は当時のままですが、グーグルマップで見るとだいぶ雰囲気が変わっています。今、現地に行ったら私が長年微かに抱いていた印象は消えてしまいそうですが、地名に「○館」「○ノ構」が残っていたり、学校の敷地の一辺には川が流れていたり、まさに平城の跡そのもの。近くの寺の門が立派だったのを思い出したので調べたら城から移築されたものでした。
東北のとある地方の、城址に立つ学校の思い出です。
たくさんありますが…
「玉縄城」
主郭がまるっと清泉女学院。難攻不落。
「水戸城」
小中高、さらに幼稚園まで。弘道館も。
「龍岡城」
校章も星形の田口小は2023年3月に閉校。
…城跡に学校…これも歴史ですね。
城あとの活用方法として、公園の次くらいの活用方法が学校としての活用方法かと思います。
あんまり学校として活用している城址が思いつかなかったので、今回のお題、パスしようかとも思ったのですが、2つほど思い出しました。
一つは、続100名城にも選定されている龍岡城です。現在は田口小学校となっていて、校庭内に御台所櫓が遺されています。他サイトから得た情報ですが、田口小学校は、2022年度末で閉校するらしく、小学校跡地を龍岡五稜郭築城時に近い状態に復元する計画があるようです。
もう一つは、新潟県の福島城です。遺構としては、石垣の一部が遺されているだけです。跡地は、福島小学校となっています。
福島小学校では、校門で閉まっていることはなく、説明板、残存石垣、その上にある城址碑も見学しやすい位置に配置してくれています。
有岡城址のある伊丹市出身ですが、お城の総構すぐ外に城郭風の小学校があり(カッコいいなあ)と思っていました(^^)歴史ある土地で学べるのは、いいですね‥
暫定登録された名古屋市の星崎城も城址が学校で、地域の歴史ウォーキングで解説してもらった事があります。
このエリアでは規模が大きい、古図も残っているお城で、小田原合戦の際の駐屯地としても使われたそう。今でも側を走る鉄道から見ると立派な城址感があります。
小豆坂七本槍の武将の居城であった時代もあり、立ち寄られた信長様が(うまい!もう一杯!)‥と言ったかはわからないけど、水を飲まれた井戸も大手道沿いの民家内に残っているそうです。
まずは龍岡城ですね。
はじめて城址が学校になっている城に行ったので、入るのに躊躇したものです。
あの田口小学校、2022年度末で閉校し、全施設を解体撤去するそうです。
それはそれで寂しいものがあります。
次に河越館、史跡公園に隣接する上戸小学校に出土品が空き教室に展示されていて、解説して貰ったものです。
あの展示室も今は閉鎖されているとか、こちらは御時世柄かなと思いました。
次に玉縄城。
それなりに思い入れがあり、攻城を楽しみにしていたのですが、清泉女学院中学高等学校の校舎があり、頻繁に職質を受けると噂では聞いていました。
また、平日しか見学の許可がおりないと残念な話でした。
外郭部で我慢した難攻不落な城址でした。
大好きな龍岡城。8月に行った時に、プール(お堀の外)から子ども達の歓声が聞こえ、ほのぼのとしていて良いお城だなぁと思いました。ここの小学校は、この春に統合のため閉校になり、学校施設はすべて撤去されるらしいです。寂しいなぁ。
おまけ
遠い昔、受験をした大学。大手堀の方から城内に入ると、大学の古い校舎が立ち並んでいました。大学には合格したものの、諸事情で別の大学に進学しました。今思うと、何が何でも城内の大学に進学すれば良かった!受験から20余年後、大学が移転し、櫓等が再建されたというので再訪問をしました。分かっていたものの、別の世界が広がっていることにびっくり!そして、ちょっぴり寂しかったです。
龍岡城も金沢城みたいに変身するのかな?!
わたしは日出城を推します。城址は日出小学校ですが、天守台や望海櫓台があり、別府湾の眺めも最高です。子どもたちはすごくぜいたくな場所で勉強してるんだなあと訪れたときに思いました。
まだ行ったことはありませんが、学校になっているお城といえば佐久市立田口小学校のある長野県の龍岡城が頭に浮かびました。田口小学校の歴史を調べてみると、元々は近くの寺にあった藩校がその歴史の始まりで、1875年に現在の場所に移転したとの事で、龍岡城が築かれたのが1867年ですので、田口小学校も龍岡城に負けず劣らず歴史のある学校のようですが、残念ながら2023年3月31日に閉校となるそうです。なお、5月の連休には現存遺構の御台所櫓が公開されると聞いていますので、その際に是非攻城したいと思います。
以外かもしれませんが、駿府城です。
三の丸に小学校~高校まで計5校。実はいっぱいあるんですねぇ。
家康の隠居城ということで、広い敷地が確保できたことが要因ですかねぇ。
島原城が印象的です。三ノ丸跡が島原高校などになっているそうです。天守からは雲仙岳が見えて、平成新山の迫力に圧倒されました。教科書ではわずかしか触れない島原の歴史も城内の学校なら深く教わるのかな、と眼下に見ながら思いました。(添付画像は西堀端沿いの島原商高です)
龍岡城
田口城跡から見下ろすとあの星形の中に建つ校舎がよく見えます。城址が学校になっているお城はこれまでにもたくさん攻城していますが、「いいなぁ」という思いが一番強いのがここです。この三月で閉校になるとのことで校舎も解体されるそうです。また新たな龍岡城が見られるわけですが、地元の関係者の方々の気持ちを思うと複雑ですね。
今まで訪問したほぼ唯一の元学校の城と言えば、大分県速見郡日出町の日出城です。
本丸の石垣の上に小学校が建っており、南側に別府湾が広がっていて景観が素晴らしく印象に残っています。
見どころは本丸石垣と本丸周りの深さがある空堀です。
すぐそばの二の丸館に無料駐車場もあるので、攻城時間も小1時間あれば十分なのでおススメの城です!(堀底を歩く事が出来るので、より石垣の高さが実感できます。)
やはり玉縄城です。
城の主要部がそっくり女子高なので自由に立入りできず、外からカメラを向けるのにも気を使ってしまいます。
フェンス越しに城址(校内)を覗き込んだりしていたら不審者扱いされないかと余計な事を考えてしまいます。
写真は玉縄城大手門跡(清泉女学院裏門)
正直あまり印象に残っているものはありません。そういえば門が残っているものがあったなぁという位。そんな中で思い出したのが、石垣と堀と赤門がある鹿児島県の国分城。飛行機からの空撮も撮ったので、他よりは少し印象に残ってました。次点で園部城。
写真は飛行機からの空撮。
この質問、個人的にずっと待ってました。私の答えは「助川海防城」です。理由は単純に、通っていた小学校がこの城の三の丸跡(の一部)にあったためです。通学当時もちろん校舎が助川城跡の一部にあることは教わっていましたが、そこで城好きになるということはなく…数年前にお城にハマってこのことを思い出した瞬間に、記憶の中の母校がもはや学校ではなく城跡にしか思えなくなってしまいました。具体的には、校庭はまんま曲輪、校舎を囲む土手は土塁、校舎横の道は登城路、といった感じに。助川城の本丸は城址公園になっており、小学校の校庭から見上げれば見える位置にあります。上に書いた学校横の道は城址公園まで続いているので、私のこの記憶の改編もあながち間違いではないのかもしれませんね。この感覚を持ってしまって以降は小高い場所にある学校見ると、反射的に城跡を連想してしまいます。実はこれも結構的確な反応なのかもと思う今日この頃です。
韮山城です。
もちろん遺構も素晴らしかったのですが、城址内にある韮山高校の野球部員全員から、「○○先輩ちわーっす!」と勘違い挨拶されました。
ノリで「おーっす!」と返しましたが、誰一人として知り合いはいません。
今回のお題でしたら、一番印象に残っています。
駿河の田中城です。
学校を取り巻くように城の丸い縄張りが張り巡らされ、町がそのまま城跡として残っている感じ。
学校内に田中城のジオラマっぽいのが再現されていて、外からでも覗き見ることができました。
他にも最近訪れた小田原城でも三の丸跡にたつ、その名も三の丸小学校というのが印象に残ってますかね。城の雰囲気を壊さないように外観の門などが城の建造物のように違和感なく作られていました。
長野県佐久市にある龍岡城。
もう一つの五稜郭としても有名ですが、その星形の中に、
佐久市立田口小学校があります。そのため学校の休みである
5月3日の祝日に訪問しました。
またその日は、普段は見れない御台所(櫓)の内部も公開されていたので、一緒に楽しむことが出来ました。
写真は五稜郭展望台(田口城跡)から見た龍岡城ですが、
しっかり校舎が写っているのがわかります。しかしながら、今年の春に閉校となってしまい、城址にある校舎も取り壊されてしまうので、残念な気もします。
長野県佐久市にある龍岡城跡(田野口陣屋)です。
日本に二つしかない五稜郭ということで、2021年7月に攻城しました。城跡に佐久市立田口小学校があり、感動しました。校舎、広いグランドが稜堡式の水堀・石垣に囲まれていました。
龍岡城五稜郭とも呼ばれ、三河奥殿陣屋の大給松平氏が幕末に藩庁を飛地の領地だった信州田野口に移し、築城したそうです。
攻城したのが日曜日だったので生徒の姿は見えませんでしたが、城跡に学校があるというのは羨ましい限りです。残念ながら、2023年3月に149年の歴史に幕を下ろすそうです。
龍岡城ですね。龍岡城五稜郭といって、幕末に作られたお城です。函館の五稜郭よりも小さいですが、国内で建造された五芒星形の星形要塞は函館と龍岡の二つのみ。小さいおかげで星形の確認も容易にできました。堀には城へ入るための橋がかけられており、敷地には田口小学校の二階建ての校舎が建っていました。五稜郭の敷地全体が小学校になっていました。五稜郭は平坦で、真ん中にグラウンド周辺に校舎と、小学校としてはちょうどいい敷地でした。校舎の隣には現存する大きな御台所が。城跡と小学校の2階建て校舎のコントラストは最高でした。こんな五稜郭の小学校に通える生徒がうらやましくてしょうがなかったんですが、なんと2022年末に閉校となってしまったとニュースで知りました。もうあの姿が写真でしか見れないかと思うと残念です。2022年の春に訪問しましたので本当に最後の機会でした。
上田城の館跡の高校と、龍岡城址の佐久小学校です。歴史も風土も町ぐるみで守りつつ、無理なく自然に伝える感じが素晴らしいと思います。
田中城か龍岡城かな。
備中松山城の麓の居館跡「御根小屋」は藩主の御殿や政庁があったところですが、現在は県立高梁高校が建っています。外からは石垣しか見ることができませんが中に入ってみたいところの一つです。
また以前、学校だったところで言うと赤穂城の本丸があります。自分と年の離れた従姉妹も通っていた高校があったのですが、その頃の写真は結構インパクトあり、よくここまで整備できたなと感心します。(従姉妹の家も三の丸内にあったのですが公園整備で立退きになりました。)
写真は備中松山城御根小屋上中門跡(県立高梁高校正門)です。
鳥取県の鳥取城や鹿野城が城跡に学校があってうらやましいですね。綺麗な堀や桜も植えてあって毎日いい景色が見れていいなあと思っています。学校ではないですが城跡に電波塔がある場合は管理道がついているのでマラソン大会や部活のランニングの目標地点になっているのがいいなあと思います。写真は岡山県美作市の旧大原町にある竹山城です、部活のランニングのスポットです。
長野県佐久市の龍岡城。五稜郭のなかにある、防御力の高い小学校。
最近攻城した大阪市の榎並小学校がある榎並城。尼崎城城址に建っている尼崎市立明城小学校が自分が攻城した所で有りました。
その中でも印象に残るのが、奈良県にある大和郡山城の中にある郡山高校。文武両道の高校で少し前に、野球部が甲子園に出ていた記憶があります。