みんなの回答一覧
遅ればせながら慶長出羽合戦です。
圧倒的大軍の直江軍に劣勢に晒される最上軍。
戦の前から奥羽東軍の崩壊、主戦力の筈の徳川家康本隊の転進による孤立化。
畑谷城の徹底抗戦、上山城の奮戦、最上川支援による一揆、北からの小野寺義道の裏切りと湯沢城の抵抗。
最終防衛ライン長谷堂城の攻防。
当主自ら突撃する最上伊達連合軍による追撃戦。
援軍を派遣するかの伊達家の葛藤。
直江軍の撤退戦や武将達の活躍と戦国時代の合戦の縮図みたいな見所満載な合戦だと思います。
何かと残念な描写がされる事が多い最上義光ですが、その勇猛さと最上武士団の意地とロマンチシズムには感じ入りました。
山形城のガイドさんとは、この戦をスルーした『天地人』は許さないと、意気投合したものです。
地元なのでやはり関ヶ原の戦いが一番です。町中に溢れる各武将の陣跡碑だけでなく、周辺の市町村にも関連の史跡や伝説が残されていて、どれだけ大きな戦いだったかを感じる事が出来ます。また最近では、西軍の陣城として新たに玉城がクローズアップされたり、新説の布陣図が提起されたりと興味は尽きません。
わずか一日の戦いで決着がついてしまいましたが、もしも長期戦になっていたら武勇鎮西一の立花宗茂がどんな働きをしたかとか、秀忠本体が合流した徳川軍と、戦いに積極的だった毛利秀元軍が戦ったらどうだったか?等々考えるのも楽しいです。
秀吉の紀州攻めでしょうか。圧倒的な数と力の前に合戦になったのかどうかはわかりませんが、身近な所で我が家の菩提寺も兵火で焼かれています。写真は、兵火から逃れた薬師堂(現在は本堂)です。根来寺の出土レプリカでも、焼土の色が忠実に再現されています。「3大水攻め」の太田城跡、堤の遺構も遺っています。和歌山の城跡を調べると、あちこちで秀吉軍の足跡を感じることができます。一番身近に感じる戦国時代です。
【関ヶ原の戦い 宰相殿の空弁当】
関ヶ原の戦いで南宮山に布陣した毛利軍、石田軍からの必死の出撃要請に毛利秀元は「兵に弁当を食べさせている」と言って時間をかせぎ、戦わずして本国へ帰ることができた。
このエピソードを知ったとき、思わず笑ってしまいましたが印象に残っています。結果、毛利家は存続することができ、幕末の倒幕運動につながるので歴史はおもしろいです。
いつか南宮山で空弁当ではなく、本物の弁当を食べるのが夢です。
たくさんありすぎて選ぶのが難しいのですが強いて言えば、長篠の戦いでしょうか?とかく鉄砲の使用が勝敗を・・・と言われていますが決してそうとは言い切れない奥の深い戦いですよね。個人的なMVPは酒井忠次だと思います。それにしても山県昌景、馬場信春、内藤昌豊、土屋昌次、真田信綱、昌輝兄弟などなど多くの武田家勇者が戦死したという。。ここまで名だたる武将が戦死した戦いもこの戦いをおいて他にはないと思います。
今回のお題は、古戦場へは、あまりいけていないので、かなりベタな回答になってしまうかと思います。
一つ目は、川中島古戦場です。現地には、松代城に行く前に立ち寄りました。バス停が目の前にあり、本数もわりとあるので、アクセスしやすい古戦場です。今は、レストランなどがあって、川中島八幡神社もあり、観光地化されていますが、川中島八幡神社にある信玄公と謙信公の一騎打ちの銅像は迫力があり、印象に残っています。
2つ目は、里見と北条の三船山古戦場です。わが故郷の里見氏が北条の南下を阻止した戦いで、久留里城のそばに古戦場はあります。領土や戦力に劣る里見氏が強大な北条を撃退した戦いは、地元民としては誇らしく、北条氏に敗れた有名な国府台合戦を差し置いて、こちらを挙げさせていただきます。
これから、桶狭間、姉川、設楽原、三方ヶ原については、ぜひ立ち寄ってみたいと思っております。
動きやドラマがあり妄想も膨らむ合戦史跡の散策、大好きです。選び辛いですが、信長公が勝利し天下取りへ躍進した桶狭間合戦がやはり高インパクト。
豊明市の伝承地近くに勤務していたので、関連史跡はよく訪れていますが、実際散策すると高低差や死角も多く、自分なりの合戦像も浮かんできます。謎も多く様々な説がある所も楽しいです。
合戦内容や本陣の位置は、文書の信頼度や組み合わせで揺れ動いているように思えますが、近くで働いていた頃、高齢の方から(戦前は鎧や武器が沢山発掘された)と聞いていたので、調査も組み合わさると良いなあ、と思えます。
信長様、清洲城で幸若舞を舞い、熱田神宮で戦勝祈願し、加藤家の熱田羽城でお酒を飲み「今日は勝とう!(加藤)」と渾身のギャグをかまして出立したと地元では伝わっています。余裕がない時にギャグは言えないし、一か八かではなく、武略もちゃんと講じ、テンションMAXで臨まれたのでは?と私は想像しています(^^)
「金ヶ崎の戦い」(たらればの理由でお粗末ですが投稿いたします)
ココで信長さんが討たれていたら太平洋ベルト地帯の工業発展は遅れていただろうし日本は欧州列強の植民地となっていたかも。
いやいや、近代史の流れは織田氏から朝倉氏に代わるだけで現代日本は変わってない。でも日本の首都は日本海側になっていたかも。
などと歴史がひっくり返る可能性もあった合戦と思い感じるからです。
日本三大奇襲戦のひとつとしてあげられる「河越城の戦い(河越夜戦)」です
子供の頃に小遣いためて買った本は「ひよどりごえ」でしたが戦国時代とは少々異なるので、
日本の歴史に興味をもち、関東に在住する者として、北条五代の書籍を読む中で、いま印象に残っているのは河越城の戦いです
川越までは日帰り攻城も可能になりましたので、碑のある東明寺まで足を伸ばしたいと思う
その他の戦いは「桶狭間の戦い」と「厳島の戦い」とのことですが、
厳島の戦いの舞台となった宮島の観光協会で、「河越城の戦い」の代わりにおなじ瀬戸内が戦場となった「鵯越の戦い」を三つ目の奇襲戦としてあげているとの話も耳にして、より「河越城の戦い」を贔屓にする次第です
桶狭間の戦いです。
理由は、国の大きさの違いと、信長は同族以外の方と戦った初めての戦だから。それに最近は、奇襲ではなく正攻法で義元を討ち取ったというので、余計に驚きが有ります。知ったのは文庫です。今度訪れたいと思います。
自分の推し武将の代表的な合戦になりますが、「川中島の合戦」を挙げたいと思います。
特に好きな場面は、濃霧の中鉢合わせのように遭遇するところですね(諸説ありますが…)。
自分の生活圏でそこまでの濃霧を見ることはまぁ無いのですが、旅先などで濃霧を見るとこの時の両軍の緊張感や霧が晴れたときの衝撃などに思いを巡らせたりします。
まだ現地には行けてないのですが、訪れたときはどんな感覚になるのかいまからとても楽しみです。
鞭声粛粛 夜河を過る…
「第四次川中島の戦い」です。
夜陰に紛れて川を渡る上杉軍。夜明けの朝靄の中、武田本陣の目前に突如現れる…
「毘」と「風林火山」の旗がはためく戦場なんて恐ろしすぎですが、壮絶な戦国時代を代表する戦いだと思います。
「天と地と」リメイクしないかな。
(写真は川中島古戦場跡の八幡社にある信玄と謙信一騎討ちの像と妻女山展望台から見た八幡原方面の景色です)
川中島の戦い…年齢が分かってしまいますが、初めて見た大河ドラマが「天と地と」。上杉謙信公がかっこ良かったのか?謙信役の石坂浩二さんがかっこ良かったのか?ちびっ子のくせに謙信公に「ぞっこん!」話は良く覚えていませんが、初めて覚えた戦いが川中島の戦い!八幡原(八幡社)には謙信vs信玄一騎打ちの銅像がありますが(これもかっこ良い)、一騎打ちは史実ではないようですね…お2人とも、川中島に5回も向かわないで、違う方面へ向かっていれば…あるいは、お2人が同盟を結んでいれば…多少は歴史が変わっていたかも?!
合戦といえば「川中島の戦い(第四次)」でしょうか。
私、お城巡りするまでは、あまり日本史は詳しくなかったので、お城巡りの予習の為に、Youtubeの「YUKIMURA CHANNEL」をよく見てます。
その中で色々な合戦が取り上げられるのですが、上杉謙信、武田信玄、共に戦国時代を代表する武将がサシで戦うのは、川中島の戦い(第四次)位でしょうか。
また、両軍の戦力(それも万単位)は拮抗し、勝敗も痛み分け。
現地には行ったことは無いのですが、機会があれば是非行きたい古戦場です。
長篠の戦い
武田信玄、勝頼と武田家の家臣について興味があるので信玄以来の山県、馬場、内藤らが次々と倒されていくというのは本を読んで初めて長篠の戦いというものを知ったときから衝撃でした。名だたる武将が次々に倒れていく戦いというのは他に例を見ないと思います。現地を訪れた際、ここで誰々が討たれたというのが示されていており、また、再現された馬防柵から武田軍が攻めてくる方向を見る位置に立ってみると胸にこみ上げてくるものがあります。
今だになぜ勝頼は戦いに臨んだのかとか、武田の騎馬軍団や三千丁の鉄砲についていろいろ話が出てくるのもいつまでも興味を飽きさせません。
1600年(慶長5)9月19日に行われた天下分け目の戦い、関ヶ原の合戦でしょうか。東軍と西軍の参加人員は東軍の方が多かったようですが、本隊の徳川秀忠が到着しなかった、西軍の配置が東軍を取り囲んでいた、等、東軍には非常に不利な戦いでしたが、事前の裏工作等で東軍の勝利となり、その後江戸幕府、明治維新、そして現代の私たちの生活に繋がっていると思います。もし西軍が勝っていたら現代の私たちの生活はどうなっていたのだろうと考えさせられるところもあり、個人的には重要な合戦だったと思います。その他は平家一門が滅亡した壇ノ浦の戦いも平家一門と繁栄と衰退の過程を知った上でこの戦いをみるともの悲しさを感じます。
関ヶ原の戦いです。
小学生の時に授業で習っているはずですけど、実際に興味を持ったのは中学生の時でしたね。
丁度、「信長の野望」が流行っている時でたくさんの戦国武将や時代背景を知る中で、最終局面というべきいわゆる「天下分け目」の戦となったのが関ヶ原の戦いで、当時のオールスターのような布陣に興味を持ちました。
当時はインターネットなんてありませんでしたから、百科事典で戦いの時系列など追ったりしました。
大人になって、現地を訪問しましたが、やはり当時の息吹が聞こえてくるようで感動しましたね。
長篠の合戦です。地元なので、長篠城はもちろん、古戦場も訪問しました。私が学生の頃には、織田信長がはじめて鉄砲を戦場で使用した合戦と習いましたが、近年の研究成果によると、武田軍も鉄砲は使用したものの、織田軍に比べると、銃弾や火薬の量が少なかったそうです。馬防柵が織田軍の勝利に寄与しただろうとの発表もあります。広範囲で復元された馬防柵が、古戦場で確認できるので、ぜひ現地に足を運んで下さい。
この合戦が織田信長の天下統一に向け大きな転換期になったのは間違いないと思うので、なので、長篠の合戦に一票を投じます。
小牧・長久手の戦いです.
秀吉対家康の,武将としてはほぼ全盛期同士の頂上決戦で,戦域や期間の規模が大きく,家康は強さを存分に発揮したものの,秀吉は結局天下取りへのステップにしており,勝敗が曖昧なところも頂上戦らしいところです.
東国中心の合戦に偏ってしまいますが、個人的には
・第四次川中島合戦(武田vs上杉)
・姉川合戦(織田・徳川vs浅井・朝倉)
・慶長出羽合戦(上杉(直江)vs最上)
・手取川合戦(上杉vs織田)
・三増峠合戦(武田vs北条)
が多くの文献やゲーム(信長の野望)から得た情報で陣立、傭兵の巧みさ、戦術面で特筆している合戦として印象に残っています。
その中で一つ挙げるとすれば、逸話や解明されていない点が多いものの"これぞ上杉!”と感じた手取川合戦を推薦します。
※現地を見て・・で言えば第四次川中島合戦でしょうか・・
天正14年(1586年)の岩屋城の戦いが印象深いです。薩摩島津氏が大友氏の家臣高橋紹運の守る岩屋城を攻めた合戦。味方が少なくなっても主人大友氏に忠誠を尽くしたこともありますが、立花山城の実子、立花宗茂を守る親心があったのではないでしょうか。2万(5万とも)対763名では勝ち目はありませんでしたが島津側は想像以上の兵を失ったため、鎮西制覇ができなかったとも言われています。
ベタですが関ヶ原の戦いです。
知ったのはいつだかわからない程、子供の頃からテレビドラマ等で見てきた合戦。
歴史に興味を持つようになってから、思っていたストーリーとは異なるということを知りました。
いろんな専門家がいろんな説を提示していて興味が尽きません。
また、同じ場所で壬申の乱が起きていることも興味深い点です。
そういった知識を得てから何度か現地を訪れましたがやはり現地に行くと気分が高まります。
特に松尾山から関ヶ原を見渡したときには感無量でした。
印象深いと思った戦は、戦国三英傑が唯一共闘し、信長にとっては人生最大の負け戦となった金ヶ崎の退き口(金ヶ崎の戦い)ですね。
当時の人は足利義昭を上洛させて勢いがあった織田信長が負けるなんて考えもよらなかったと思います。また、もしも浅井長政が裏切らなかったら間違いなく歴史は変わっていたと思います。浅井三姉妹の運命も、また違った道になったのではないかと思います。
さらには、この戦は数々の大河ドラマにも名場面として取り上げられていて、直近では長谷川博己主演で明智光秀を主人公とした「麒麟がくる」にも登場しました。染谷将太演じる織田信長に対して、長谷川博己演じる明智光秀が土下座で進軍を引き止める姿は圧倒されましたね。他には山内一豊が主人公の「功名が辻」では、舘ひろしがダンディに演じる織田信長が激しく取り乱したり、それを見て殿軍を引き受けると進言した柄本明演じる羽柴秀吉のやり取りが印象深かったですね。
大河内城の戦いを挙げたいと思います。
一説によると、織田軍7〜10万vs北畠軍7〜8千とも言われているそうです。
挙げた理由
・開戦までに伊勢国の神戸家に三男信孝、長野家に弟信包、戦後は北畠家に次男信雄といった、信長にかなり近しい人物を養子・当主にさせており、伊勢を織田色に染めるためにいかに重視していたかが伺える。
・前哨戦の阿坂城の戦いで、秀吉が生涯唯一の戦傷を負う。
・この戦いで織田軍はかなり苦戦し、実は北畠軍が優勢で、やむなく和議を結んだとの説が有力視されている。
・一連の伊勢攻略戦により、大活躍したうちの1人が九鬼嘉隆。信長はこの戦いで水軍を重要視するようになり、後に木津川口で毛利水軍を破ることとなる。
・この戦いは織田軍にとって総力戦で臨んでおり、信長はじめ、柴田勝家、丹羽長秀、滝川一益、木下秀吉、森可成、池田恒興、佐々成政、佐久間信盛、稲葉良通、蒲生氏郷(初陣)等々…織田軍オールスターが勢揃いしていたことが凄い。